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怒りと憎しみの違い/ご意見募集:「平和の絵本で-和を地球へ」活動日誌

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私どもの平和と癒しの運動の、日々の活動日誌です。

怒りと憎しみの違い/ご意見募集


怒りと憎しみは、どちらも攻撃と関連しているので、類似な感情だと思われがちだが、実は相当に異なるものだと思う(言葉の定義にもよるだろうが)。

自分自身で考えると、怒りはとても馴染み深い。僕はしょっちゅう怒っている。テレビのニュースを見れば怒ってすぐにチャンネルを変えてしまう。平和の絵本をずっと書き続けているのも、人類の錯覚/愚行への怒りが大きな動機だ。怒りのエネルギーに突き動かされ/利用して、前に進んできた。

一方で憎しみという感情は、僕にとっては、とても珍しいものだ。それは自分とは縁遠い感情であって、憎んだ記憶を探すと、それこそ青春時代にまでさかのぼる必要がある。20歳以降、おそらく僕は誰も(何も)新たに憎んではいない。瞑想の中で、昔作った憎しみを探し出し解消したことは有るが、新しく発生させたことは無い。

つまり、怒りと憎しみは、僕の中では明確に区別された感情だ。

さて先日、「バカ自慢」で憎しみのことを少し取り上げた。その後、読者の方とお話をして気づいたのだが、怒りと憎しみの違いを、なんとなく自明のこととして「バカ自慢の絵本集」を書いていた。けれど、それはちょっとそれは不親切に過ぎたかもしれない。順番としては怒りと憎しみの違いを先に絵本にした方が、分かりやすかったのかも知れない。

とはいえ、改めて考えてみると、やはりここで問題となるのは、言葉の定義/理解だ。 厳密に言えば、言葉の定義/理解は人それぞれで異なる。 特に「憎しみの解消」といったテーマになった場合、わずかな理解の違いが問題となってしまう。

みなさんは、怒りと憎しみをどう理解されているのだろう? 
怒りと憎しみという言葉を、どう理解されているのか、怒りと憎しみが違うとするなら、どう違うと思われているのか。

ご意見をお聞かせいただければ嬉しいです。<(_ _)> この記事へのコメントでもメールでも。
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  1. 2019/06/17(月) 13:01:43|
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  4. コメント:10
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コメント

ソクラテス

なるほど! ソクラテスは深く愛され信頼されていたのかも知れませんね!(爆)
この辺りはずいぶん大事な論点のように思います。(^^)
だいぶ見えて来ました。ありがとうございます!m(_ _)m
  1. 2019/07/07(日) 22:21:41 |
  2. URL |
  3. 東郷 #-
  4. [ 編集]

クサンティッペは、ソクラテスを信頼していたと思います

>2)こちらの怒りをきっと相手が受け止めてくれるだろうという信頼。

すごく卑近な例で恐縮なんですが、うちの奥さんがよく私に対して、怒るんです。瞬間湯沸かし器のように。それはきっと、この2)に相当する信頼と愛があるから、なんでしょうね。1)の可能性も否定はしきれませんが(笑)
きっと悪女で有名な、クサンティッペは、ソクラテスを信頼し、愛していたということでしょう。

>痛み⇒一瞬の怖れ(相手に怒っても安全かどうか判断)⇒怒り かもしれませんね。

そうだと思います。そしてその一瞬の怖れから怒りにつながる(あるいはつながらない)流れは、(ご指摘のやくざの例のように)意識的に認識されるうるものもあれば、ほとんど無意識で行われる場合(蛇や猛獣に襲われる場合)もある、というのが私の考えです。
  1. 2019/07/07(日) 18:38:43 |
  2. URL |
  3. 花ブナ #uWstiZRU
  4. [ 編集]

花ブナ様 怒り・信頼・怖れ

こうして考えてみると、信頼には二つあるような気もしますね。 1)経験上、この人は安全だと思っていたという信頼(思い込み) その信頼が損なわれて怒りが生まれる。 もう一つの怒りは、2)こちらの怒りをきっと相手が受け止めてくれるだろうという信頼。


>痛み⇒怒り」の隙間には、意識できないほど省略された怖れがあると考えています。

この怖れは、相手の反応への怖れなのかなあと考えました。

誰でもそうだと思うのですが、「この野郎、痛いじゃないか!」と怒る前に、ちらっと相手を見ませんか? もし相手が狂暴そうなヤクザだったら、慌てて怒りを飲み込むでしょう。相手が自分よりも弱そうなら(強そうでも、怒りを受け止めてくれそうなら)、安心して怒りをぶつけられます。

つまり、痛み⇒一瞬の怖れ(相手に怒っても安全かどうか判断)⇒怒り かもしれませんね。^^
  1. 2019/07/07(日) 16:15:40 |
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  3. 東郷 #-
  4. [ 編集]

「痛み⇒怒り」のバッチ処理は、過去の記憶(=リスク判断情報)とリアルな感覚の”ギャップ”から生じる

>過去/現在に対しての怒りもあるのかな?
>これって、痛み⇒怒り であって、痛み⇒怖れ⇒怒り にはならないような気がします。

下記の「信頼」と強く関係する内容ですが、人間の心は、常に身の回りの事物・人物が、自分にとって安全か、安全ではないか、の判別を(ほぼ無意識で)やっていると思います。
なので「経験」上、自分にとって、安全かどうかわからないものや、危険であることがわかりきっているものから、自分が痛めつけられた場合、それは「痛み⇒怒り」にならないように思います。逆に「経験」上痛みにつながらない事物・人物が、予想に反して自分に痛みを与えた場合に「痛み⇒怒り」が発動するように思います。
その関係を“信頼”と呼ぶか、“侮り”と呼ぶか、“勝手な思い込み”と呼ぶか、色々あると思いますが、まあとにかく、あれは・あいつは、私にとって、安全という「経験」上の判断(信頼/思いこみ/予断)が裏切られたときに「痛み⇒怒り」が発生するのだと思います。
なぜそうした局面において「怒り」が発生するかというと、はじめから危険と判断していた対象からの攻撃よりも、よりリスクが高いからです。そしてこの一連の反応は、おそらく遺伝子レベルで、人間の精神構造の中に(進化的に)組み込まれたものであると考えています。なので、ほとんど、瞬間的に「痛み⇒怒り」が発生するように感じますが、「痛み⇒怒り」の隙間には、意識できないほど省略された怖れがあると考えています。プログラミング的な例えでいうと「バッチ処理」のような感じです。
また上記で書いた「経験」は、個人の経験を超えるような種としての「経験」も含みます。そうした「経験」は、人間の遺伝子発現のパターンとして記憶されています(蛇を初めてみた人がそれを怖い、と思うようなレベル)(以前FBでお話ししたエピジェネティックな遺伝子発現も含みます)。そうした種および個人が過去に蓄積した「経験」に基づくリスク情報と、現実を生きる“心”がリアルな痛みなどの感覚をえたときの“ギャップ”が、「痛み⇒怒り」にいたる緊急バッチ処理プログラムのトリガーを引く、と考えています。

結果として、怒りを伴うイベントは、強く記憶に残り、リスク判断データベースが修正されて、これまで「隠れていたリスク因子」を認識するということになると思います。
『満員電車の中には、人畜無害に見える女性のなかにも、危険な靴を履いている人間がいるので、これからは気を付けるようにしよう』みたいな感じです。

なので、「信頼が無ければ怒らない」というのは、非常に的を得た考え方だと私も思います。そのご指摘をいただき、私も「怒り」に対する考察が深まりました。
  1. 2019/07/07(日) 11:50:04 |
  2. URL |
  3. 花ブナ #uWstiZRU
  4. [ 編集]

花ブナ様

おかげ様で、絵本のストーリーも数個出来てきています。^^ ありがとうございます。<(_ _)>

>“愛の損失に対する予期”から「怖れ」が生じ、

怒る場合、怖れが必ず付帯するものかどうなのか、考えていたのですが・・・
未来に関する怒りでは、その通りだと思います。

>愛が“損なわれそう”と感じるイベントが発生して

まさにこの場合ですよね。

ただ、過去/現在に対しての怒りもあるのかな?と。つまり、今、誰かに足を踏まれて、痛いという場合とか。
今、実際に痛い。「痛いだろ、ばかやろう!」と怒る。

これって、痛み⇒怒り であって、痛み⇒怖れ⇒怒り にはならないような気がします。

とはいえ、花ブナさんがおっしゃるように、未来に損なわれるかもしれない何かもありますよね。未来に損なわれる何もなければ、そもそも怒らないのかもしれません。

それって、相手に対する何等かの信頼?

怒りに関して、今、考えているのは、「怒りの元は愛」にプラスして、「信頼が無ければ怒らない」ということなんです。相手が怒りを受け止めてくれる、と思う信頼がどこかに無ければ、普通は怒らないよなあ、と。

怒りの元が愛であって、怒るのは信頼しているから、という視点は結構、面白いかもと感じています。^^
  1. 2019/07/06(土) 13:41:08 |
  2. URL |
  3. 東郷 #-
  4. [ 編集]

憎しみのグラデーション:X=Y×Z

こちらこそ、貴重な考察の機会を与えていただきありがとうございます。
東郷さんのお考えに近いというのは、私もすごく励まされる気がします。

>「怒りの元は愛」という表現も出来ないことはないかもしれませんね。

そうですね。
愛ってなんだろうという話にもなりますが、愛の始まりには、まず生存欲、があるんじゃないかと思っています。小さな子供に物心がつく頃に、根本の生存欲が、自己愛へと発展し、そして成長するに従って、家族への愛や、友達への愛、社会への愛、という感じに発展していく。また、怒りの対象も、愛の発展の程度によって変わります。

>損なわれた愛が怒りに変換するような感じです。

私の感覚としては、上記の自己愛なり、家族愛なり、社会愛が“損なわれそう”と感じるイベントが発生して、その“愛の損失に対する予期”から「怖れ」が生じ、その後にその「怖れ」に対抗する心理として、「怒り」が発生する、という流れかなと思います。
一連の流れは、非常に短時間に起こることもあるので、「怒り」がすぐに一次感情として湧いてくるように感じますが、「怒り」の前には、多分「怖れ」があって、「怖れ」の根本は、愛の損失に対する予期、ではないかと思っています。

>「認知の歪み」がやはりポイントな気がします。
>何に対しての歪み/錯覚かというと、憎しみの対象だけではないのかもしれません。自分への認知。相互の関係性への認知の歪み。

そうですね。確かにそういう、自分への認識や関係性そのものや、多様なものが憎しみの対象になると思います。
憎しみに至るには、自分の心の中に、ある種の「ストーリー」が形成されるのだと思います。それは怒りに至るようなプロセスよりも、もっと人為的な「思考」が関与しているでしょう。そうした「ストーリー」を作る心のモチベーションは、どのように考えれば自分がいかに心理的に楽をできるか(あるいは苦を回避できるか)という、“心の損得勘定”にあるように思います。
そして自分が、しんどいめにあえば合うほど(心の期待値から外れた状況になるほど)、心はシビアに損得勘定を計算して、強固なストーリー(=心の防壁)を作るのではないかと思います。また一方で、そうした損得勘定を行うときの、損得分岐点は、人によって大きく違う、のだと思います。

損得分岐点が、あまりに自己都合・自己防御に偏っている場合や、心があまりに近視的にしか世界を見れていない場合、「認知の歪み」が強い、ということになるのではないでしょうか。つまり、色んなものに対して「憎しみ」を抱きやすい状況、ということです。

>憎しみには認知の歪みが伴うとして、それは必ずそうだと言えるのか。それとも例外もあるのか。

これは、例外があるかどうか、というより、グラデーション、なんじゃないかと感じます。認知の歪みが、まったくない人間というのも、想像が難しいです。いわゆる悟りに達している人?は認知の歪みが非常に小さくなるのか?など、まだ、ちょっと言い切れませんが。

単純化して表すと
X=Y×Z
X:その人の心に発生する憎しみの度合い
Y:心の期待値から外れた状況のシビアさ
Z:その人の心の自己都合・防御性の強さ
のようなことを考えています。
Zをいわゆる人のもつ「エゴ」だとすると、仏教等ではZを限りなくゼロに近づけることで、Yがどれだけ理不尽な値となっても、憎しみの度合いを小さくできる、という考えなのかなと。
  1. 2019/07/02(火) 19:26:51 |
  2. URL |
  3. 花ブナ #uWstiZRU
  4. [ 編集]

花ブナさん、ありがとうございます

花ブナさん、コメント、ありがとうございます。すごく参考になりました。
僕の理解ともとても近くて勇気づけられました。 

僕も怒りは自然なものだと思っています。

>さらにその深いところには、自分の属する社会全体に対する愛がある

「怒りの元は愛」という表現も出来ないことはないかもしれませんね。損なわれた愛が怒りに変換するような感じです。
愛を損なうものなら何でも、だいたい怒りの元となりうる。怖れだったり痛みだったり。痛い!⇒そのエネルギーが怒りへと。


一方で憎しみの方は、ずうっと人為的だと感じます。
「認知の歪み」がやはりポイントな気がします。何に対しての歪み/錯覚かというと、憎しみの対象だけではないのかもしれません。自分への認知。相互の関係性への認知の歪み。

もし憎しみが認知の歪み(=錯覚)を必ず伴うものだとするなら、その気づきは万人に広めたいですね。

●認知の歪み(錯覚)と憎しみの関係性
●憎しみには認知の歪みが伴うとして、それは必ずそうだと言えるのか。それとも例外もあるのか。


怒りと憎しみの違いって、絵本のテーマとして興味深いなあと思うのですが、もう少し考える必要がありそうです。
作業としては、自己暗示をかけて心の中に憎しみをいったん作り出すことが必要となるので、結構、しんどいんです。^^;

ありがとうございました。<(_ _)>
  1. 2019/06/19(水) 14:23:40 |
  2. URL |
  3. 東郷 #-
  4. [ 編集]

思考を介するものと思考を介さないもの

もっというと、愛や怒りは、「思考」をほとんど介さない感情の発露であって、憎しみは、(本人が意識しているかどうかはともかく)「思考」が相当に関与して形成される心理、だと区別することができるかもと思いました。
  1. 2019/06/18(火) 16:16:22 |
  2. URL |
  3. 花ブナ #-
  4. [ 編集]

義憤より怒りと、それ以外の怒り

上記を書いたあとに、義憤による怒りと、それ以外の(上記に書いたような個人的で瞬発的な)怒りの違いって、何だろうという新たな疑問が湧いてきました。義憤による怒りは、己個人の生存に対する怖れというよりは、自分の属する集団(社会)全体に対して、危機を感じる、という感情が根底にあって、さらにその深いところには、自分の属する社会全体に対する愛がある、ということかもしれませんね。自己愛から発するか、社会全体に対する愛から発するかが、通常の個人的な怒りと義憤による怒りの違い、といえましょうか。
  1. 2019/06/18(火) 16:10:39 |
  2. URL |
  3. 花ブナ #-
  4. [ 編集]

怒りと憎しみの違い

怒りは、無差別かつ瞬発的な感情だと思います。普段仲良くしている友達であっても、ろくでもないニュースを聞いたときも、ペットがお気に入りのグラスを割ったときも、怒りの感情が湧くことはあります。自己の生存にとって、都合の悪いことが突然発覚し、深い「怖れ」を感じた直後に、その「怖れ」を克服するため、「怖れ」を抱かせた原因となったものに対して反射的かつ無差別に抱く感情が「怒り」だと思います。

憎しみは、差別的・依存的な心理が前提にあると思います。憎しみの対象に怒りの感情が湧いたとしても、その怒りは“従属的”です。心理的に自分より下だと思っている相手、あるいは自分が甘えたい相手、その相手を思うようにコントロールできないときに生じる不安の感情を隠すために、相手に責任転嫁しようとする心理だと思います。他者に対する依存心が強く、不安の感情を自己消化ができない人が、陥る心理状態、といえるかもしれません。

怒りも憎しみも、ともに自己防衛的反応という面では共通しているかもしれませんが、憎しみの形成には、主に心理的な未熟さに基づく「認知の歪み」や「克己心の欠如」が伴っていると思います。

ただし、他者に対する依存心が全くなく、どんな強い不安の感情も自己消化・克己できるタフな人間というのもまずいませんので、タイミングや状況によっては、人間というのは憎しみを抱くものであり(いわば成長の過程であり)、憎しみを抱く人すべてが「未熟」でダメ人間だ、というつもりはありません。人間なんて、(自分も含めて)多少の強さ弱さがあっても、それはどんぐりの背比べであり、今憎しみを抱くような強い不安を自分が感じていなければ、それは僥倖なんだと思います。また同時に、東郷さんの絵本によって、互いに不幸を呼び寄せるような深い「認知の歪み」に陥った人々が少しでも解放されて、世界が平和になるといいと思っています。
  1. 2019/06/18(火) 15:58:10 |
  2. URL |
  3. 花ブナ #uWstiZRU
  4. [ 編集]

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