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「罪」に関するあなたのイメージをお聞かせください:「平和の絵本で-和を地球へ」活動日誌

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私どもの平和と癒しの運動の、日々の活動日誌です。

「罪」に関するあなたのイメージをお聞かせください


今、罪に関する絵本を執筆中です。
つきましては、「罪」 あるいは、「罪を償(つぐな)う」 という言葉に関する、あなたのイメージをお聞かせ頂けませんか?

僕が伺いたいのは、以下のような難しいことではありません。

●罪とは何か? ●本当に罪を償うとは、いったいどんな意味があるのか? ●罪の定義とは何か? ●罪の本質とは何か?

そうではなく、あなたが抱くイメージ(あるいは、あなたの個人的な理解)です。
誰の意見が正しいとか、間違っているなどということではありません。人それぞれ、言葉に対して持つイメージ・理解は異なるはずです。その異なるイメージを伺いたいのです。

これを伺う目的は、「罪」「罪を償う」という言葉が、人間心理に与える影響を推測するためです。ですから、専門家(哲学者や法学者や神学者?)の高邁な意見を聞きたいということではありません(もちろん、排除するものではありませんが)。色々な方々が持つイメージを知りたいのです。

ここにコメントして頂いても結構ですし、こちらからメールをいただくということでも結構です。

ご意見を頂いても、御礼の予定はありませんが^^; 、宜しくお願い致します。<(_ _)>
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  1. 2017/08/09(水) 16:35:52|
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  4. コメント:13
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コメント

>すぐに怒り出してしまう人たちって、昔、とってもつらい事があったのかも知れないですね。

怒りは、すごく抑圧され、歪められてる感情の一つだからね~
近いうちに怒りとか憎しみをテーマにした絵本シリーズも書く予定なんだ。^^ この何日かはずっと罪について書いてる。ふ~、シンド。^^;;
  1. 2017/08/27(日) 14:31:14 |
  2. URL |
  3. 東郷 #-
  4. [ 編集]

東郷さん、色々とありがとうございました。
ここで、コメントを書きこんでいるうちに、自分の中で、また色んな事がクリア出来てきたような気がします^^

>深い屈折した感情は古~い錯覚とセットになってる。

しばらく、どういう意味だろう?と考え込んでしまいましたが(汗)

普段は平気な顔してるように見えるけど、少し込み入った話をすると、すぐに怒り出してしまう人たちって、昔、とってもつらい事があったのかも知れないですね。
  1. 2017/08/26(土) 18:21:22 |
  2. URL |
  3. ユインシュタイン #hVBOTS.Y
  4. [ 編集]

ユインさん

>うまく現実逃避をしながら、少しずつ現実に向かい合っていければいいのかも知れないですね。

はい。^^ 

>でも、本当に大切なのは、その裏にある感情なのかも・・・


錯覚と感情は表裏ですよね。深い屈折した感情は古~い錯覚とセットになってる。


>いつも変なやつ扱いされるばかりですが(汗)


僕にはとってもまともに感じますよ~。^^
  1. 2017/08/26(土) 12:55:00 |
  2. URL |
  3. 東郷 #-
  4. [ 編集]

錯覚にも役割があって、錯覚に逃げ込む事が必要な場合もある・・・
東郷さんから、そんな話が聞けて、安心しました^^;

錯覚に逃げ込むのは楽ですけど、楽な事ばかりしていると、だんだん苦しくなってきますよね。
錯覚と向き合うのは苦しいですけど、少し苦しい事をしていると、だんだん楽になってきますよね。

錯覚って「痛み止めの薬」のようなものかな?とか思ったりします。
痛み止めの薬を飲めば、痛みは感じなくなる(痛みが無くなったと錯覚できる)けれども、薬の効果が切れてくると、また痛みを感じてしまう。
だから、また薬を飲む、また薬を飲む、また薬を飲む・・・
でも、いくら薬を飲み続けても、痛みが完全に消える事はない。
だって、そもそも痛みが発生する根本的な原因が解決できてないから。

でも、あまりにも痛みが強すぎて耐えられず、根本的な原因の解決に向かい合う事さえ出来ない状態の時は、痛み止めの薬を飲んで、痛みを感じなくする(痛みが無くなったと錯覚する)ことによって、少しは気力が回復してきて、根本的な原因の解決に向かい合えるようになれるかも知れない。
うまく現実逃避をしながら、少しずつ現実に向かい合っていければいいのかも知れないですね。


誰かの錯覚に気づいた時に「それは錯覚だよと指摘する」
これだけなら誰にでも出来ますよね。
でも、本当に大切なのは、その裏にある感情なのかも・・・
これが今の僕にとっての課題かも知れないんですけど、僕自身あまりマトモじゃないので、何かと難しくて難しくて難しい(汗)

>我々は、錯覚の中で生きることを宿命づけられている。そこが出発点なんです。

これと似たような話をする人はいるんですけど、その本人が、この現実を受け入れる事が出来ておらず、出発点にすら辿り着けずに、いつまでも錯覚に苦しめ続けられている場合が、結構あるような気がします。
逆に、この現実を受け入れる事が出来て、とりあえず出発点に辿り着くことが出来ている人は、錯覚があったとしても、無いようなものかな?という風に思ってますけどね^^;

>だから、「親の心、子知らず」です。「子供の心、親知らず」です。(笑)

だから面白いのかも知れないですね(笑)
もし相手の事が、ぜんぶ分かってしまったら、それ以上、もう話す事がなくなってしまうだろうし^^;
でも、今の世の中では「相手の事が分からないから話したくない」っていう人が、実に多いですよね(汗)
いや、逆でしょ?って、相手の事が分からないから話すんでしょ?って、こんな事を言っても、なかなか理解してくれる人がいなくて、いつも変なやつ扱いされるばかりですが(汗)
  1. 2017/08/25(金) 17:59:47 |
  2. URL |
  3. ユインシュタイン #hVBOTS.Y
  4. [ 編集]

二つ。
一つは、錯覚にも役割があること。便利な道具であるということ。

準備ができていない時、現実が辛すぎる時、錯覚に逃げ込む・現実逃避をするって、当たり前だし、、
必要なことでもある。


心因性の記憶喪失とか。トラウマも同じですね。
ジェットコースターに乗っていて怖くて目をつぶることも、映画や読書やスポーツで現実を忘れることも、大きく言えば錯覚と類似かもしれない。

ただずっと錯覚に逃避していたら、望む現実は永遠に得られない。
だから準備が出来たら(あるいは、ちょっと背伸びをしてでも)、現実に戻って来て欲しい。
それに、自分が錯覚に逃げたことすら忘れて、望まない現実の中で、もがいている人たちも大勢いる。

だからちょっと背中を押したい。勇気づけたい。励ましたい。
それは錯覚だよ、と声を掛けたい。


もう一つ。
大きく言えば、僕も含めて、錯覚をしない人はいない。

自分の心も分からないのに、他人の心なんて分からない。直接見えないし。
他人の気持ちを知るために僕らに出来ることは推測だけ。当然、いつも誤解する。
つまり、錯覚する。

我々は、錯覚の中で生きることを宿命づけられている。
そこが出発点なんです。

だから、「親の心、子知らず」です。
「子供の心、親知らず」です。(笑)
  1. 2017/08/24(木) 12:24:25 |
  2. URL |
  3. 東郷 #-
  4. [ 編集]

「親の心子知らず」という言葉は、ただ単に状況を表しているだけで、そのような状況が生まれてしまう本質的な問題は、実際どこにあるのか?みたいな事を考えてたんですけど、やっぱり色んな錯覚の中で生きている大人たちが、自分の錯覚とは向き合おうとせずに、「親の心子知らず」という状況になってしまっている原因を、子供のせいにしているからではないかと思うんですよね。
錯覚の中で生きていれば、当然ながら、子供のことも色々と錯覚してしまうでしょうし、そんな錯覚にもとづいた「自分が愛だと思い込んでいるもの(愛だと錯覚しているもの)」を押し付けようとすれば、子供が拒否反応を示すのは、偶然ではなく必然でしょうし、まずは大人たちが錯覚の中で生き続けるのを止めようとしない限り、いつまでも「親の心子知らず」という状況に終止符が打たれる事はないと思うんですけどね・・・
錯覚のために命を投げ出すなんて、そんなバカバカしい事はないでしょうし、いくら子供が心を開いていたとしても「錯覚に付き合え」という要求に応じるのは無理な話でしょうし・・・
だから、大人たちが自分自身の錯覚とは向き合うつもりがないのに「自分は愛情を持って、ちゃんと教育やしつけをしている!」「親の愛を子供が受け取れないだけだ!」などという話にして、子供のせいにしてしまうのは、筋が違うのではないか?
だから、まずは錯覚を何とかする必要がありそうだなと、東郷さんが、ずっと言い続けているのは、そういう事なんだろうと思ってるんですけどね。

>殺人の動機には、共感の欠如やサタニズムや、その他色々ということですよね。

こんな風に、あらゆる可能性を網羅すれば、錯覚を生まずに済むので、スッキリした感じで、いったん話を終わらせる事が出来ますよね^^
でも、今の世の中の、ほとんどの人たちは、これでは話が曖昧になった!とか言って・・・

●「殺人の動機は、共感の欠如であって、サタニズムなどではない!」
●「殺人の動機は、サタニズムであって、共感の欠如などではない!」

実際には、殺人の動機は、その殺人をした犯人に、直接、話を聞いてみない事には分からない事だらけで、結論なんて出せない状況なのに、何がなんでも、こんな感じの1つの結論だけに決め込んでしまわないと気が済まない人たちが多いですよね(汗)
でも、どちらの結論に決めつけたとしても「サタニズムという考え方は、どうやって排除したのか?」「共感の欠如という場合もあるんじゃないのか?」「それ以外にも、まだ気づいてない事が色々あるんじゃないか?」などの疑問が残ってしまうので、1つの結論だけに決め込んでしまうほうが、逆に話が曖昧になってしまうんじゃないかと僕は思ったりするんですけどね^^;

>現代人の心は、まあ、見事に歪み、もつれ切ってます。ほどくのは大変です。^^;

そうですね。でも、それが今の現実なのかなと・・・
上記で、錯覚(思い込み)について、あれこれ書いてみましたけど、他人に対して「思い込みで判断するな!」という注意をする人は、非常に多いので、思い込み(錯覚)を無くす事に興味があるのかな?と思っていたら、自分自身の錯覚(思い込み)とは向き合うつもりがなくて、自分だけは錯覚(思い込み)の中で生き続けようとする、そんな自己矛盾を抱えた人たちが、いかに多い事か・・・
こんな状況を、たった数年で大きく変えてしまおうと思っても無理みたいだなと、最近、つくづく実感している所です(汗)
  1. 2017/08/23(水) 14:57:31 |
  2. URL |
  3. ユインシュタイン #hVBOTS.Y
  4. [ 編集]

サタニズムが、サタンにお喜び頂こうということで、殺人がサタンを喜ばせることなら、それはむろん、殺人の動機になりうるでしょうね。
殺人の動機には、共感の欠如やサタニズムや、その他色々ということですよね。


愛の無い家庭・・・ むろん、そこにも色々な事情がありえますよね。
政略結婚もそうだろうし、旦那の浮気もあるでしょうし。(笑) もちろん、善悪も。
善悪で生きようとすると、自然な感情は抑圧され、麻痺していくので、愛は消える方向に行くでしょう。

>こういう事って、実際あるんでしょうかね?

親の心子知らず、と言いますしね。あるのか、と言われれば、そういうことも有りえるでしょう。(笑)

愛と敵 で書いたけれど、愛を受け取るって、命がけなところがある。
心を開かないと愛って、受け取れない。
でも相手への信頼が無いと、心を開くのはとても怖い。

問題児であろうと無かろうと、子供が何かの事情で(どんな些細なことでも)、親への信頼を失えば、愛は受け取らないでしょう。


それに、愛と言っても、色々ですしねー  恐怖や不信や不安や憎しみも、愛を偽装する。
愛しているといってる本人にも、それが愛なのかどうなのか、よく分からない。

人肉食の佐川さん、女性を殺して食べているとき、「愛しているよ」と言って、その空々しさに、自分でゾッとしたそうです。^^;
現代人の心は、まあ、見事に歪み、もつれ切ってます。ほどくのは大変です。^^;
  1. 2017/08/21(月) 11:59:20 |
  2. URL |
  3. 東郷 #-
  4. [ 編集]

「人を殺してみたかった」「ちょっと殺してみたかった」という絵本ですか、面白そうですね^^
世間で話題になってる事でもあるので、必要としてる人も多そうですね。

なるほど、共感の能力が欠如しているのを、自分で治癒するために取っている行動だとも考えられそうですね。
「人を殺してみたかった」=サタニズム(悪魔崇拝主義)というのは、考え方が単純すぎだったかも知れません(汗)

ところで、「愛のある家庭」「愛の無い家庭」とは何なのか?
こういうのが、結構、ややこしい問題だなと思った事があります。
ほとんどの人は、自分の家庭が「愛の無い家庭」だなんて思いたくない!認めたくない!という心理が働くようなので、実際の状況が、どうであろうと、何がなんでも「愛のある家庭」だという事にしたがる傾向があるようで・・・
だから、「子供を愛しなさい!」 http://www.j15.org/MustLove/Picturebook-ChildAbuse/index.html の絵本に登場する母親のような状態に陥ってしまったりするのかな?
その結果、子供が問題児になってしまったとしても、今度は「本当は親には愛がある」「子供が問題児だから愛を受け取れないだけ」などという事にしてしまって、だから「愛の無い家庭ではない」という話にしようとする。
そんな話にしてしまえば、親は子供を愛せなくても、何の責任も感じなくて済むんでしょうけど、逆に子供のほうは、すべての責任を背負わされる事になる。
子供のほうが、親の愛を受け取る努力をしなければならない、それが出来ないようであれば、子供を病院や宗教施設などに送り込んで治療するしかないと・・・
そうやって、子供は、ますます親に不信感を抱くようになったり、偽物の愛を育てる努力をしてしまったりして、共感の能力が欠如したり、感情が麻痺してしまったりして、社会不適応者だとか犯罪者だとか、そんな人生を送る事になる。

なんだか、色々と書いてしまいましたが、上記の文章で、僕が最も疑問に思っているのは・・・

「本当は親には愛がある」「子供が問題児だから愛を受け取れないだけ」

こんな感じの話をする人が、時々いますけど、こういう事って、実際あるんでしょうかね?
  1. 2017/08/20(日) 19:26:30 |
  2. URL |
  3. ユインシュタイン #hVBOTS.Y
  4. [ 編集]

その後、考えていたんですけど、「人を殺してみたかった」「ちょっと殺してみたかった」とか、絵本のタイトルになりますね。^^ 結構、イメージがわいてきます。ユインさんのおかげで、新しい絵本、出来そうです。しばらくアイデアを暖めてみますね。
  1. 2017/08/19(土) 15:27:02 |
  2. URL |
  3. 東郷 #-
  4. [ 編集]

ああ、ユインさんでも罪と悪の類似に着目されるんですね。
実は僕もそうだったんですけど、今回の絵本では、あえて「どう違うか」に挑戦しているんです。^^
結構、難しかったです。(笑)

「人を殺してみたかった」という心理は、興味深いですよね。
快楽殺人については、「想像という現実シリーズ」を書くときとか、さんざん考えたんですけれど、もっと軽いノリもありそうですね。

共感の欠如。心の麻痺、とか関係しているのかなと思っています。
愛の無い家庭に育ち、他者との自然な感情の交流を経験しないと、共感の能力が欠如しても不思議はないです。

共感の無さをどうにかしたくて、思いっきり極端な経験(つまり、殺人)をしてみたいとか。殺人をしても、自分の心は痛まないんだろうかとか。どこまで、自分は平気で残酷なことができるんだろうとか。

共感が無ければ、他人の痛みは、痛くないですよね。(苦笑)

善悪を外部基準だとすると、善悪に従うためには、心の内部に自然発生する感情を抑圧する必要があり、自然発生的な共感とかも、抑圧することになります。

つねに、善悪だけで生きていると、感情が麻痺するかも。
それだけだと、殺人者にまではならないと思うのだけれど、そういう愛の無い家庭で育てば、分からない。

世代を超えて心の歪みとか、育っていくのかなとも思います。
  1. 2017/08/19(土) 11:37:59 |
  2. URL |
  3. 東郷 #-
  4. [ 編集]

ああ、僕の考え方は、錯覚の外から見ている意見になってたんですね。
自分では、あまり意識してなかったのですが、そう言われてみれば、そうですね^^;

最初の「善悪中毒」の本で、「命令」と「分類」と「属性」の区別の話がありましたが、あの考え方が、かなり定着してきている感じなので、「罪」という言葉は「善悪」と同じで、ただの分類基準なのかなぁと・・・
そして、ただの「分類」でしかない「罪」という言葉を、「属性」のように錯覚させれば、それに対して様々な「命令」を発する事も出来るので、マインドコントロールに利用できるという意味では、ほとんど「善悪」と変わらない使われ方をしている面があるように思います。
細かいニュアンスなどを考えれば「罪人」と「悪人」は違うのかも知れないですけど、あまり、こういった事を深く考えたりしない人は、「罪人」も「悪人」も同じだと思ってるかも知れないですね。
まあ、以前の自分が、そんな感じだったので、「罪人」=「悪人」という認識の人は、色んな事を錯覚しやすいし、マインドコントロールされやすいのかな?
というか、それ以前に「罪人」=「悪人」という認識であれば、それ自体が錯覚なのかも知れないですね。
そんな事を考えながら、自分自身が注意したり反省したりする意味で書いているだけなので、マインドコントロールを特別に取り上げて欲しいとか、そういう意味じゃないです。

そういえば、罪には「重い」とか「軽い」とかいう言葉が付いてくる事が多いですね。
「軽い罪」だったら償えるし許されるけど、「重い罪」だったら一生かかっても償えないとか許されないとか・・・
そもそも、罪が「重い」とか「軽い」とか、その判断は、誰がしてるんだろう?
そして「自分は重い罪を背負っている」という意識を持ってしまった人は「死んでお詫びいたします」とかいう話になってくるのかな?(汗)

それから、先日、とあるサイトで「犯罪者がきちんと罪を償うのは当然の事だ」みたいな事を言ってる人がいたので「罪を償う」というのは、具体的に、どういう事を意味しているんでしょうか?みたいな質問をしてみた所、返事が返ってきませんでした^^;
これについて僕自身も考えてみたんですけど、同じ「罪を償う」という言葉でも、その意味が「被害者」と「加害者」では、考えている事が、まったく違うのかな?という気がします。
「加害者」のほうは、更生して社会貢献できる人間になってこそ「罪を償う」という事を果たしているつもりでも、「被害者」のほうは、それで「罪を償ってもらった」とは全く思っていないどころか、「加害者」が社会復帰して活躍している様子を見て、さらに嫌悪感を抱くなどという事が起こっているように思います。
どうやら「被害者」にとって「加害者に罪を償わせる」というのは、裏に「処罰感情」みたいなものがあって、とにかく自分が苦しい思いをしたのだから、同じように加害者も苦しむべきだ!自分が感じた以上の苦しみを与えるべきだ!などといった心理が働いている気がします。
まあ、そんな感情になってしまうのも理解できない事はないですけど、そんな事を続けていても、どうにもならないんだっていうメッセージは、罰の副作用を描いた絵本集で、うんざりするくらい伝わってきますね^^;

それから、悪魔を喜ばそうとするサタニズム(悪魔崇拝主義)の事が気になっていたんですけど、これと「罪」って何か関係しているのかな?という思いで書いてみました。
「人を殺してみたかった」などという動機を語る犯罪者がいたりしますけど、それは生まれつきなのか?
「生まれつき、そういう人間だ」と思い込まなければ生きていけない境遇があったのか?
そういう事を考えるには「罰は再犯を生む」の絵本は、とても役立ちそうですね。
この絵本は、一度、とても印象的だった記憶があったのですが、最近では忘れてしまってました(汗)
そういえば最近、「自分は差別主義者だ!」とか言って、差別を推奨するような人たちもいるようですけど、こういう人たちと、サタニズム(悪魔崇拝主義)は、関連性があるのかな?とか考えたりもしてました。
もしかしたら「罪」の話とは、まったく別の問題かも知れませんが・・・
  1. 2017/08/18(金) 13:44:34 |
  2. URL |
  3. ユインシュタイン #hVBOTS.Y
  4. [ 編集]

ユインさん、ありがとうございます! ユインさんの考え方は、楽屋裏ですね。(笑) 錯覚した状態の「罪」ではなく、錯覚の外から、目的・効果をご覧になっていて。

今回は罪について、2本の絵本を考えています。

自分の頭の整理も兼ねて、コメントしていきますね。

>「すべての人間は罪人だ」
これは、ここでは取り上げないかな。この心理は、「私は悪い人間です」 http://www.j15.org/Picturebook-Sinner/index.html で取り上げているように思うのです。この場合の「罪人」は、「悪」と近い意味のような気がします。
「すべての人間は罪人だ」と「すべての人間は悪人だ」を比較すると、前者の方が、神様の存在がニュアンスとして近いかなあ? でも、どちらも地獄に落ちそうだし、大きな違いはないかな?

>「お前は悪い事をしたから罪がある」 
これはその通りですね。絵本で取り上げます。

>「罪のある人間は、誰からも相手にされない、死ぬまで苦しまなければならない、地獄に落ちる」 
これも面白いなあ。この「罪のある人間」も、「悪い人」と、とても近いですね。ただ、ちょっと離れているかな? つまり、「悪い人」は、本質が悪で、何をどうやっても悪だけれど、「罪のある人」は、罪を償う道がほんの少し見えていて、悪人よりは、救いがあるというか。

>「罪を償うのは当然の事だ。罪を償うためには●●しなければならない」
「●●している限り罪は許されない、地獄に落ちたくなければ●●しなければならない」
「●●すれば罪は許され天国に行ける、天国に行きたければ●●しなければならない」

ああそっか。罪が許される、という考え方もあしますね~ 罪が軽くなる・罪を償う と、これは同じかなあ? 罪を償うと、罪が軽くなり、罪が消える・許される、かな?

>などなど、上記のような言葉を、何度も何度も繰り返して、「罪」という概念を植え付ける事が出来れば、

この辺は、「私は悪い人間です」の感覚かなあ。あの絵本では、ただ単に凶暴化したけれど、もちろん、マインドコントロールで使えますね。罰は劣等感etc.を生む http://www.j15.org/Punishment/Inferiority/index.html ともちょっと共通しているかなあ? お前は無能だ、だから、これをやれ。 と お前は罪がある、だから、これをやれ、と。

罪を使ったマインドコントロールかあ。これはこの2本の絵本では考えていなかったですね。

>「罪人としての行動を取る事こそが善」みたいな感じになって

俺はどうせ悪人だ、というのは「私は悪い人間です」で描いているけれど、これって、確かにもっと突っ込めるでしょうね。サタニズム(悪魔崇拝主義)にも近づいてくるかな? 悪魔に仕える人は、悪魔を喜ばそうとするそうです。罰は再犯を生む http://www.j15.org/Punishment/Repeat/index.html も共通する心理ですね。 

>罪の意識を持つ事や、罪の意識を植え付けようとする事、罪を償おう(償わせよう)とする事などが、逆効果になって、とても大変な事になってしまう!みたいな絵本があったら、面白いなと思います^^


ありがとうございます。この辺は意識しておきますね。

色々参考になりました。ありがとうございます!!m(_ _)m
  1. 2017/08/16(水) 17:35:16 |
  2. URL |
  3. 東郷 #-
  4. [ 編集]

東郷さん、こんにちは^^

「罪」という言葉は、人をマインドコントロールするために作られた言葉かなぁ?と思ったりします。

「すべての人間は罪人だ」「お前は悪い事をしたから罪がある」
「罪のある人間は、誰からも相手にされない、死ぬまで苦しまなければならない、地獄に落ちる」
「罪を償うのは当然の事だ。罪を償うためには●●しなければならない」
「●●している限り罪は許されない、地獄に落ちたくなければ●●しなければならない」
「●●すれば罪は許され天国に行ける、天国に行きたければ●●しなければならない」

などなど、上記のような言葉を、何度も何度も繰り返して、「罪」という概念を植え付ける事が出来れば、あとは「罪人は●●しなければならない」「罪人は●●してはいけない」という命令に、簡単に従わせる事が出来る。
世界中で、テロ事件などを起こす人たちは、上記のようなマインドコントロールに支配されている「被害者」なのかなぁ?と思ったりします。

それから「罪人は●●しなければならない」「罪人は●●してはいけない」などの命令に従順に従い続けていても、まったく生活が楽にならず、苦しみが続けば「どうせ俺は罪人だ!」「罪人として活躍するために生まれてきたのだ!」「地獄に行った後も活躍し続けるために罪を犯し続ける訓練をしているのだ!」などと開き直った感じになってしまうというか、「罪人としての行動を取る事こそが善」みたいな感じになって、恐ろしく危険な人物になってしまう副作用というのもあるかも知れないですね。
こういうタイプの人に、今までの平和の絵本を読ませても「ふん、くだらん絵本だ!」などと思われてしまうだけで、なかなか通用しないのかな?などと、最近、思ったりもしていました。

罪の意識を持つ事や、罪の意識を植え付けようとする事、罪を償おう(償わせよう)とする事などが、逆効果になって、とても大変な事になってしまう!みたいな絵本があったら、面白いなと思います^^
  1. 2017/08/15(火) 18:10:16 |
  2. URL |
  3. ユインシュタイン #hVBOTS.Y
  4. [ 編集]

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