私ども平和の絵本の、日々の活動日誌です。

罪・犯罪という言葉:「平和の絵本で-和を地球へ」活動日誌

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私どもの平和と癒しの運動の、日々の活動日誌です。

罪・犯罪という言葉


善悪の錯覚を避ける上で、普段、僕自身が気を付けているのは、自分では、善悪という言葉を使わないこと。
正しい・悪い 正義・悪 なども。 いわば自主的な言葉狩りだ。^^

もちろんそれだけでは完全ではない。言葉にはニュアンスがあるからだ。
極端に善悪のニュアンスが強い言葉も、自分の中では使わない。例えば、しなければいけない、するべきだ、という言い方もなるべくしない。むろん、それらの言葉が悪いからではなく、出来るだけ、錯覚を避けたいからだ。

そして違う言い方を探す。
ほとんどの場合、それは簡単だ。 少し不便を感じるけれど、それほど言い換えが難しいわけではない。
けれど、時々、言い換えることがとても難しいと感じることもある。
この難しさこそが、「錯覚」の部分。 これを心掛けることで、「あ、善悪の錯覚が残っていた」と気付くことが出来る。そして気が付けば、錯覚を消すことが出来る。


そんなことを習慣にしているのだけれど、「罪」「犯罪」「犯罪者」という言葉も狩る対象なのかなあ、と。
罪や罰について、ずっと考えている中で、これらの言葉も錯覚の温床では、という気がしてきたのだ。

悪というニュアンスが、これらの言葉には強く残存する。 つまり、これらの言葉を使うことで、より意味がはっきりするのではなく、意味がかえってぼやけることが多いのでは、ということだ。

例えば、傷害。 窃盗。 殺人など。 ・・・そこで止めておく。 これらを罪、犯罪とあえて言わない。むろん、それらは刑法に違反している。 「傷害が起きた。これがその人。傷害は刑法に違反している。 」 ここで止める。 

これを、罪を犯した犯罪者というと、窃盗も障害も殺人も、いっしょくたに見えてくる。 もし全く違う事象が同じであるかのように見えてしまったら、つまり、錯覚だ。

以下の二つ現実認識から、違う発想が自然に生まれてくることは、お分かりいただけるだろうか?

1)認識;「窃盗があった。罪が犯されたのだ。」→生まれる発想;「犯罪者を捕まえて罰さなければ」
2)認識;「窃盗があった。」→生まれる発想;「加害者は、なぜそんなことをしたんだろう? 被害者の救済は、どうしよう? 原状回復は? 原因は? 予防は?」

むろん、罰が悪だというわけではない。2)であっても、「罰」を使いたいケースは残るのかも知れない。全ての場合を考えつくしているわけではない。けれど、かなり限定的になるだろうな、とは思っている。どんなときに、どんな「罰」が必要なのか。代替手段はあるのか? これはまだまだ考える必要がある。

とはいえ、1)から2)へ。 これを目指すことで、ずいぶんと違う世界が開けるのでは、と期待している。^^

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  1. 2017/06/11(日) 16:40:00|
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コメント

ユインさん

瞑想には、ずっと興味があって20代のころから、色々トライして来ました。
じぇんじぇん進歩しないまま、もう40年になりますね~^^;

瞑想にもしご関心があるようならメール下さい。
http://www.j15.org/contact/index.php
  1. 2017/06/23(金) 12:00:12 |
  2. URL |
  3. 東郷 #-
  4. [ 編集]

ぶきっちょなのに「幸せのハードル」を高く設定しすぎて、ずっと絶望感に支配されていたんですよね^^;
というより、ぶきっちょでバカにされやすいので、あえて、すごく難しい事に挑戦して、それを成し遂げる事で「俺にも、こんなすごい事が出来るんだぞ!」という事を証明すれば、誰からもバカにされずに済むはずだ!なんて思ってました(汗)
でも、現実には、僕が過去に何を成し遂げたとしても、バカにされる時はバカにされるし^^;
そんな事を繰り返しているうちに、いつからか「バカにされない事」を目標にして生きていても面白くないな~と思うようになって、今では「幸せのハードル」も、ぐっと下げて、100点満点のうち、15点くらい取れれば合格かな?という風に設定してます(笑)
でも、実感としては、いつも、だいたい60点くらいは取れてるので、合格基準の4倍もの点数を取りまくっている!(笑)
「しなければいけない、するべきだ」という言葉ばかり使って、いつも100点を目指していた頃とは、心の余裕が、まるで違いますね^^
言葉狩りには、こんな効果もあるように思います^-^

>ユインさんの文章を見るたびに、明晰さに驚かされます。平易な分かりやすい文章で、筋道が立っていて、深い。

こんな風に言われるのは、素直に嬉しいですね^^♪
こういう書き方をするのが、僕にとっては自然体なんですけど、脳みそが思いっきり理系に偏ってるからかな?と思ってます。
文系の人みたいな語彙力や表現力はないですけど、論理的に筋を通す事だけは、文系の人には負けんぞ!みたいな意識(プライド?)は、ずっと以前から持ってますね^^;
でも、東郷さんの文章だって、さすが高学歴の人の文章だな~と思いながら、いつも読ませて頂いてました。
論理的に深いし、語彙力も高いので、文系、理系の偏りが、あまり感じられなくて、なかなか弱点が見つからない(笑)

>僕は瞑想をするのですけど、20年~30年かけて、この辺は随分とやりました。

に、20~30年ですか?(汗)
そういえば、東郷さんって、年齢いくつでしたっけ?(無視でもいいです^^)
僕には瞑想というのが、どういうものか分からないんですけど、それは誰かに習ったりしたんでしょうか?
  1. 2017/06/22(木) 17:40:07 |
  2. URL |
  3. ユインシュタイン #hVBOTS.Y
  4. [ 編集]

ユインさん

ぶきっちょだとのこと。意外でした。^^  ユインさんの文章を見るたびに、明晰さに驚かされます。平易な分かりやすい文章で、筋道が立っていて、深い。 なかなかこういう文章を読む機会は少ないです。


>ふとした時に、心の奥にしまい込んでいる?色んな思いが、わーっと出てくる事が時々ありますね

これは同じです。僕は瞑想をするのですけど、20年~30年かけて、この辺は随分とやりました。わーっと出して、それを整理する。癒す。 
わーっと出るときはチャンスだと思うし、なんか変だなと思いつつ、なかなか見つからないときは長い時間を掛けて探す。今の絵本の土台です。(笑)
  1. 2017/06/21(水) 23:25:59 |
  2. URL |
  3. 東郷 #-
  4. [ 編集]

>見守ってあげて下さい。変わる時が来れば変わります。(^-^)

やっぱり、そうなりますよね^^
そういえば以前、「見守る」と「無視」は、どう違うのだろう?なんて悩んだ事もあります^^;
簡単なようで、意外と難しい・・・でも大切な事ですよね。

>プライドも高く優秀な方なので

へぇ~そんな風に見えるんですかね?
変なプライドとか持ってると生きづらくなってしまうので、色んなプライドを捨てまくって来たつもりだったんですけどね^^;
僕から見れば、他の人たちのほうがプライドが高いように見えるというか、よく考えてみれば、今まで「プライドが高くない」という人に、出会った事がないような気もします(汗)
学力についても、僕は大学とか行った事ないし、高校も大したレベルじゃなかったので、他の人たちのほうが優秀のように見えるし、実生活の中でも、バカにされる事のほうが圧倒的に多いし(汗)

>僕の場合は、なかなか「本気になれない」という欠点があったと記憶しています。

僕の場合は、逆に「なかなか手が抜けない」「中途半端にできない」というのが欠点であり長所でもある、という風に思って生きてきた気がします(汗)

>中途半端に出来ちゃうので、全てを小手先で済まそうと思えば済ませてしまう。結果、中途半端なことしかできない。

以前から、そういうタイプの人かな~とは思ってました(笑)
だいたいの事は、大した努力なんてしなくても器用に出来てしまうってヤツですよね?
僕は、かなり不器用なほうなので、だいたいの事が小学生以下のレベル?でしか出来なかったりして、人並みに出来るようになるまでには、かなりの努力を費やす必要があります(汗)
そんな感じなので、自分の中で「これなら出来る!」と思える領域が限られてくるので、そういう分野では、他人には負けたくない!と思って集中したりして、かなりのレベルまで到達できたりはするのですが、反面、それ以外の分野が小学生以下のレベル?のままなので、出来る事と出来ない事の落差が、めちゃくちゃ激しいんですよね(汗)
それゆえに、「ふざけている」「怠けている」などと評価されてしまう場合が多いです(汗)
そんな風に評価されたくないので「手が抜けない」「中途半端にできない」という感じで頑張ってきたんですけど、そういう生き方を続けていても、心と体がボロボロになるばかりでした(涙)
なので、そんな生き方に限界を感じて、「手抜きでもいいや~」「中途半端でもいいや~」「ふざけているとか怠けているとか言われてもいいや~」「人任せでいいや~」などと思えるように、ここ数年で考え方を変える努力をしてきました^^;
実際、そんな感じの心構えでも特に問題ないというか、むしろ、そのほうが上手く行くという事も、けっこう多いんだなーと気づかされる事も色々あったし、少しずつですが心と体にも余裕が生まれてきたような感じもします^^
まあ、全部が全部、上記のような感じでは済まない現実も、時々やってきますが(汗)
でも、いつも気を張っている必要はない、という事を覚えられたのは大きかったです^^

>面白いことに、自分の生活が充実すると、自分の説得力も高まるし、何も言わなくても周りが変わって来たという経験もあったように思います。

ごく最近ですが、そういう方向が見えて来た所だったので「もう自分は大丈夫だ!」と歩き始めていた所だったのですが、ふとした時に、心の奥にしまい込んでいる?色んな思いが、わーっと出てくる事が時々ありますね(先日のコメントも、たぶんそう、汗)
ここ数日、また色々と考え込んでいましたが、自分自身を変えようとする事さえ大変なのだから、自分以外の他人を変えようとするのは、不可能ではないけれども、やっぱり非常に困難な事なんだろうなという気がしてきました(汗)
とはいえ、以前は、気に入らない相手は攻撃すべきものと思っていた事もありましたが、平和の絵本から学んだ重要な事を1つだけ挙げるとすれば「本物の悪人」なんて存在しないという事。
実際には、攻撃すべき人なんて誰一人として存在しない、というより、本当は、そういう人たちは守ってあげるべき存在というか、結局、ほとんどの人は錯覚に依存してしまっている「弱者」なのかも知れないなぁという風に、自分の中での認識が変わって行った事は大きかったです。
とはいえ、「だったら、どうすればいいのか?」という事については、その都度、考えるしかないし、結論が見つからない事もありますけど、それでも相手は「本物の悪人」ではないし、自分の中に湧き起こる怒りの感情についても、相手を攻撃する以外のものに変換して活用してやればいいのだと気づいたのは大きかったと思ってます。
  1. 2017/06/20(火) 19:01:42 |
  2. URL |
  3. ユインシュタイン #hVBOTS.Y
  4. [ 編集]

怒るなというのは宗教に限らず、いろいろなところで言われてますよね。

身内のお話は、懐かしく拝見しました。
見守ってあげて下さい。変わる時が来れば変わります。(^-^)

やっぱり一番大事なことは、僕自身であり、ユインさんご自身なんでしようね。自分の人生をどう作っていくのか。ユインさんは僕と同じで(笑)プライドも高く優秀な方なので、ご自身を満足させるのは、かなり大変かも?? 僕の場合は、なかなか「本気になれない」という欠点があったと記憶しています。中途半端に出来ちゃうので、全てを小手先で済まそうと思えば済ませてしまう。結果、中途半端なことしかできない。

何かを必死になって頑張ってるときって、身内のこととか、あんまり気にならなくなるんですよね。 冷たいようだけど、身内が現実逃避をしているかどうかとか、それどころじゃなくなる。自分のことで手一杯になって。
必死にならないと、自分の道なんか歩けない。・・・僕は、そんな感じでしたねー。(^^;)

面白いことに、自分の生活が充実すると、自分の説得力も高まるし、何も言わなくても周りが変わって来たという経験もあったように思います。

最初の一歩。
これは本当に大変だったけど(一歩踏み出すのに、何年も掛りましたね)、僕の場合は、「怒り」が背中を押してくれた。
人生で何かを決断するとき、だいたい怒りだったような気がします。

今、平和の絵本をやっているのも、心の底に怒りがあってです。なんでこんなくだらない錯覚にとらわれて、いつまでも殺し合ってるんだって、はらわたが煮えくり返るような怒りがあります。瞑想をしていて、この怒りの存在に気づいたときは、びっくりしました。え? 俺、こんなに怒っているんだって。(笑)

怒りは大事です。(^^)v
  1. 2017/06/18(日) 10:00:43 |
  2. URL |
  3. 東郷 #LkZag.iM
  4. [ 編集]

キリスト教会に行ったりすると「怒ってはいけない」とかいう話を聞かされる事が多いんですよね・・・
怒りの感情を抑える事が出来ないのは、不信仰の表れなんだとか(汗)

僕も「怒っている」という気持ちを素直に出すのは大切だろうと思ってます。
普段、怒りの感情を抑圧してばかりだから、ある時、勝手に爆発したような感じになってしまって、余計、大変な事になるんだよって理解して欲しくて、主に身内に対してですが、そんな事を、あれこれ説得していた事もあるのですが、どうやっても上手く行かないので、もう疲れ果ててしまいました(汗)
相手が善悪中毒の強い人だったりすると、ただ話し合いをする事さえ困難というか、色々と厄介な事になりますよね(汗)
僕の家庭は、今も、なかなか言いたい事も、ちゃんと言えず、だから相手が何を考えているのかも良く分からず、お互いに分かり合おうとする努力もせず(というか不可能に近い?)、毎日すれ違ってばかり・・・
ひたすら、相手の様子を伺いながら、チャンスが巡って来た時に、善悪中毒を治すような考え方を、相手に気づかれないようにしながら(最近は「善悪中毒」という言葉を聞くだけでも拒絶してしまう感じなので、汗)そっと差し出してみる・・・そんな繰り返しですかねぇ(汗)
それでも「お前は何も分かってない!何をバカな事を言っているんだ?」などと、嫌な顔をされたり怒られたりしながらですが(汗)
でも、ほんの少しずつマシになって来ているとは思ってますが・・・

こんな話をすると、「善悪中毒が治っている事が善で、善悪中毒が治ってない事を悪だと思い込んでいる善悪中毒に、自分自身がなってしまっているから苦しくなるんだよ!」みたいな事を言われてしまう場合もありますけど、そういう事じゃないんですよね・・・
別に、誰かを強制的にコントロールしたいのでもなければ、誰かを攻撃したいわけでもないし・・・

ただ、窮屈で苦しくて冷たい、なんだか良く分からない寂しさが漂う、不自然な人間関係の中で、いつもギリギリの精神状態で生きていくよりは、もう少し気楽で面白くて温かい人間関係の中で、ゆっくり生きていけたらなぁって、ただ、それだけなんですよね・・・
もしかしたら美しすぎる幻想でも見ているのかも知れませんけど、でもやっぱり、今のままじゃ、なんか違うよなぁって、そんな事ばかり考えてしまう毎日です。
一時的に、気分を紛らわしてくれるものは沢山ありますけど(そういうものに頼らないと、どうにもならない場合もありますが)でも、そんな事ばかりを死ぬまで続けていても仕方ないし、かすかな希望だったとしても何か持ち続けているほうが、強く生きられるかなって・・・

なんか色々と書いてしまいましたが、この文章自体が、僕自身の怒りを爆発させたような感じになってるかな?(^^;
東郷さんが描こうとしておられる「善悪中毒の無い世界」とやらに期待してます☆
  1. 2017/06/17(土) 17:53:54 |
  2. URL |
  3. ユインシュタイン #hVBOTS.Y
  4. [ 編集]

怒りって善悪中毒で本来の役割を果たせていないというか、すっごく歪められてると感じています。
抑圧され、爆発し。あとは、悪への攻撃とか。(笑)
もっと気楽に怒り、怒られたら、もっと人間同士の相互理解は進むんじゃないかなあと。せっかくの怒りを活用できていないことと罰の深刻化とは、無関係じゃないだろうと。
善悪中毒がなければ、怒りはもっと気楽なものとなると思うのです。

ただ今は危険。この辺の表現を悩む必要があるかなあって。(^^;)
  1. 2017/06/17(土) 08:56:44 |
  2. URL |
  3. 東郷 #qoLMz.1o
  4. [ 編集]

>それにしても、こんなことやっているのは僕ぐらいだろうと思ってましたが。ユインさんも相当変わってますね!(笑)

いやいや、東郷さんには、まだまだ及ばないかなと(笑)
それにしても、以前は「変わってる」とか言われると、嫌な気分になったりしたものですが、最近では、むしろ「ほめ言葉」のように聞こえます^^;
いつの時代も、世界を切り開いてきたのは変人だと思うので、実は変人って貴重な存在だったりするんですよね(笑)

僕も、言葉狩りには、色んな効果があるなーと実感してます。
何気なく「いい」「わるい」「正しい」「間違い」なんて、カンタンに言ってしまいがちですけど、他の言葉に置き換えるとしたら何になる?
という事を、あれこれ考えたりしていると、自分でも気づかなかったような、自分の中にある本音みたいなのに気づいたりする事もあって「ああ、自分は、こんな風に感じてたんだな・・・」なんて思ったりします^^;
でも、いつもいつも、そればかりだと、さすがに疲れてしまうし(汗)
あと、自分が徹底している時に、他人が気軽に「いい」「わるい」「正しい」「間違い」という言葉を使っていると、やたら気に障る感じがして、いつの間にか、その人の事を敵視してしまう、なんて事もあったように思います(汗)

>人生を壊すような罰が本当に必要なのかというのは、大いに疑問。でももっと怒りを大事にしたい。
>この辺のニュアンスを描くのは、かなり難しいと感じています。

この辺のニュアンスについては「愛する人が殺されたら」などの絵本で伝わっているのではないか?という気がしましたが、これだけでは足りないという事ですかね?
  1. 2017/06/16(金) 17:46:14 |
  2. URL |
  3. ユインシュタイン #hVBOTS.Y
  4. [ 編集]

ユインさん

言葉狩りのお話、面白いです。僕もほんと似たような感じです。(^^)
僕もずっと徹底してたのですが、結構、面倒くさい。日本語の限界もあるんですよね。
二分割と大きな感情の動き(悪を憎めというような)に注意していれば、錯覚は生まないかなと。
言葉狩りをしていて困ったのは、計算が正しいといったとき。これをどう言い換えるか、悩んだ記憶があります。(笑)
僕も最近は、前ほど徹底しないようにしています。
それにしても、こんなことやっているのは僕ぐらいだろうと思ってましたが。ユインさんも相当変わってますね!(笑)

善悪中毒の本のあの部分は、実は後から余計なこと書いたなって、少し後悔したんです。間違いではないと思うけど、言葉狩りには確かに訓練の効果はあるので、書く必要はなかったかなと。

罰については、僕も同じように考えています。罰に頼るのは、他のほとんど全ての手段を試した後で十分だろうと。
罰に頼って何千年なので、変化は簡単ではないと思いますが。

その一方で、怒ることの大切さは強調したいなと考えています。

人生を壊すような罰が本当に必要なのかというのは、大いに疑問。でももっと怒りを大事にしたい。

この辺のニュアンスを描くのは、かなり難しいと感じています。
  1. 2017/06/16(金) 00:13:49 |
  2. URL |
  3. 東郷 潤 #-
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言葉狩り

僕も以前、「いい」「わるい」「正しい」「間違っている」などを、徹底的に使わないようにしていた時がありましたね。
でも、言葉の上では「善とは言ってない」「悪とは言ってない」などと言いながらも、心の奥深い部分では、やっぱり何かを善悪で分類して考えてしまっている自分に気づく事もありました。
だから、言葉の上での表現よりは、まずは心の奥深い部分で善悪の判断をしてしまっていないか?という事に注意を向けるほうが大切なのだろうと思っています。
それから、東郷さんの本を読み返していたら「もし、善悪という言葉を狩って、善悪の錯覚がなくなると思えば、それは錯覚だ。」みたいな事が書かれていたので、言葉狩りは、そこまで徹底しなくてもいいのかなぁ?
なんて、最近、そんな風に考えていた所だったのですが、やっぱり言葉狩りは徹底したほうが理想なんでしょうかね?(汗)
たまに、言葉狩りしすぎると面倒に感じる事もあったりするというか^^;

「あなたに会えて良かった」

例えば、この文章の「良かった」という言葉を狩ろうとすれば、代わりの言葉としては「嬉しかった」「楽しかった」などの表現になるんでしょうけど、なんだか照れ臭くなってしまったり、そんな事くらい「良かった」と言えば意味は通じるだろう・・・みたいに考えてしまったりして、ついつい「良かった」で済ませてしまったりします^^;
まあ、このサイトの趣旨は、錯覚を撲滅するという事なので徹底する必要性があるのかも知れませんけど、日常生活での困らない範囲では、そこまで徹底しなくてもいいのかなぁ?なんて思ったりもします^^;

>むろん、罰が悪だというわけではない。2)であっても、「罰」を使いたいケースは残るのかも知れない。全ての場合を考えつくしているわけではない。けれど、かなり限定的になるだろうな、とは思っている。どんなときに、どんな「罰」が必要なのか。代替手段はあるのか? これはまだまだ考える必要がある。

僕も最近、似たような事を考えていましたが、罰が必要な場合があるにしても、それは第一選択(ファーストチョイス)には、なりにくいんじゃないかなぁ?という気がしています。
無効かも知れないと思っても、まずは「罰を使わない」という手段で色々やってみて、それで上手くいけばラッキーだし、どうしても上手く行かない場合に限り、限局的なやり方として「罰を使うケースもある」という方法のほうが、危険性が少ないし、色んな問題も起こりにくいですよね。
  1. 2017/06/13(火) 18:27:53 |
  2. URL |
  3. ユインシュタイン #hVBOTS.Y
  4. [ 編集]

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