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罰と恐怖の絵本シリーズのトップ頁に書き加え:「平和の絵本で-和を地球へ」活動日誌

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罰と恐怖の絵本シリーズのトップ頁に書き加え


ああでもない、こうでもないと考え中。
罰シリーズの中で、「罪」に触れるかどうか。 罪と罰というように、罪は罰とはセットとなっている言葉。だからどうしても触れなければと最初は思ったのだが、罪という概念は、善悪の錯覚の補完的なものであって、それ自体が積極的に錯覚を生む言葉ではない。 だから、無視してもどうということは無いのかな、という気もしてきている。

ただ知りたい読書のために、「罪とは何ぞや」を善悪の錯覚との関係で描く意義はあるとは思う。書くとしたら、このシリーズの中で、触れるのか、それとも別の個所で触れるのか。

それから距離感のことをどうするのかも気になっている。善悪はいわば対等な戦い。罰は支配システム(社会秩序も含めて)の上下関係の中での攻撃。善悪の距離感は遠く、罰の距離感は近くて上下がある。どちらも、攻撃であり、恐怖を伴うものであることに変わりはない。どこまで行っても、恐怖に頼る、という心理は描いてみたいけれど、まだストーリーが思いつかない。^^;;

そんな中で、まあ、今日は出来ることをしようと、罰と恐怖の絵本シリーズのトップ頁に以下の内容を書き加えてみた。


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上記以外にも、罰の副作用は、この平和の絵本の中で何回も登場します。 以下、絵本の元のタイトルと、()内で、その絵本で触れている罰の副作用をタイトル風に書いてみました。 ご参照ください。
 次の2つの絵本は、2004年5月に本WEBを立ち上げた時から公開している3本の絵本のうちの2本です。ちなみに「良い子にならなきゃ」は、僕が生まれて初めて書いた絵本です。

●良い子にならなきゃ (罰は争いを生む)  ●どっちだ?(罰は無差別殺人を生む)

 それから、オムニバス絵本「失敗し続ける方法」の絵本集でも、罰の副作用を描いています。

●泥棒を減らさない方法(罰は、泥棒の原因の放置を生む)  ●禁煙に失敗し続ける方法(罰は、禁煙失敗を生む)  ●禁酒に失敗し続ける方法(罰は、禁酒失敗を生む) ●犯罪を減らさない方法(罰は、各種犯罪の原因の放置を生む)  ●愛する人が殺されたら(罰は、殺人の原因の放置を生む)

 愛の錯覚を描く絵本集でもも、罰の副作用に触れています。

●愛と嘘(罰は、愛の嘘を生む)  ●子供を愛しなさい(罰は、児童虐待を生む)  ●恋人を愛しなさい(罰は、性的虐待を生む)

 差別に関する絵本集の中にも、罰の副作用を見つけました。

●差別と現実逃避(罰は、人種差別を生む) ●追いつめられて(罰は、人と猿の見間違いを生む) ●悪夢からの逃走(罰は、疑似科学を生む)

 罰の副作用がどれほど多岐にわたり深刻なものであるか、思いを馳せて頂ければ幸いです。
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  1. 2017/06/03(土) 15:14:06|
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