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罪と罰; 今、考えていること:「平和の絵本で-和を地球へ」活動日誌

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私どもの平和と癒しの運動の、日々の活動日誌です。

罪と罰; 今、考えていること


あと2-3本で罰と恐怖シリーズは終えるつもりでいた。
何か大事なことを忘れていないか、見直していたところ、あ、ヤバいと。^^;

善悪の錯覚との関連、罪のことなど、かなり重要なテーマに触れていないことに気づいたのだ。

例えば、罪。 
罪とは何か、あなたはスラスラお答えになることが出来るだろうか?

善悪中毒といった視点から、罪を考えると、善悪と罪の補完関係が見えてくる。
例えば、善悪の錯覚を生むモチベーションに、罰の恐怖は強く関係しているだろう。 命令不服従の罪に対する罰への恐怖が錯覚を生むともいえる。

「あいつは悪だ!」は「あいつを無制限、無条件に攻撃しろ!」という攻撃命令となりうるが、罪は、その無制限の攻撃を、逆に、コントロール/制限することと深く関係しているだろう。無制限の攻撃命令の結果、勝敗がついたところで、罪によって、無制限の攻撃命令を解除するというか、再度、制限することとなる。
その時、善悪の錯覚は、よりコントロールできる形で、罪の中に、しまい込まれる。罪は、やってしまった悪の量と深く関わる。悪の量を測定し表すものだ。

これによって錯覚は残しつつ、錯覚から脱出し現実へ戻る道を罪という言葉が用意していることはお分かりだろうか?
悪魔イメージが、リュックサックを背負った人間に戻るのだ。悪と人間が切り離されて、切り離された悪が、罪というリュックサックとなる。

そして、もちろん、罪と罰。罪に罰はつきものの概念となる。
罰することで、罪が償われる。 償われれば、無罪放免。善人へと戻ることも出来る。つまり、錯覚から現実へ戻る道だ。

罰することで罪がつぐなわれる(リュックサックが軽くなる)。悪が薄められ、消滅し、善へと戻る。 
この言葉の成立のためには、善悪の錯覚が前提となるだろう。善悪の錯覚があって、初めて、罰によって罪の償いという考え方が生まれることとなる。 問題とされるのは、いつも「悪」であり、犯罪の原因の解決といった発想は、これでスッポリと抜け落ちる。

それから、罪・罰・命令という言葉と、人間同士の上下関係。これも大事なテーマだ。

命令が成立するためには、命令者と命令される者との間に、上下関係が存在することが前提となる。
命令への不服従へ罰が下される。つまり、罰は、上下関係を前提としている。
であるなら、罰と対の概念である罪という言葉もまた、上下関係の存在が前提とされる。

人によっては、ルール/倫理/善悪/モラル/神は、人間より上位だという方もいるだろう。 ルールに権威を付与するもしないのも、人の決めることであり、その意味では、人間同士の上下関係を問題にすれば、このテーマの中では十分だと思うが、絵本で触れる必要はあるかもしれない。

さて、善悪には上下関係はない。そこにあるのは、葛藤であり、戦いだ。 上下関係を前提とする罰ではない。

善悪の錯覚を利用して、人をコントロールするとき、動機としては罰の恐怖が使われる。つまり、恐怖を動機として、人と人は錯覚し、争い合う。その結果、勝敗がつけば、上下関係が生まれることとなる。その上下関係は、罪と罰によって、コントロールされる。
つまり、罰の恐怖で社会秩序を守ることとなる。

まとめれば、上下関係がない人々は、恐怖を動機として、善悪で錯覚しあい争いあう。一方で(勝敗がついたりして)上下関係がある人々は、恐怖を動機として、よりコントロールされた善悪の形としての罪と罰で社会秩序を守ろうとする。 …どこまで行っても、恐怖が人を支配するのだ。

善悪、罪、罰。 これは恐怖と錯覚で人を支配するための、完成したシステムとなる。
善悪はモロに錯覚を生みだす工夫。罪は、人間と悪の分離。罰は、人間に対するものだが、あたかもリュックサック(罪)に対するもののように見せかけた攻撃であり、恐怖の源泉。

そんな大きな流れの中で、善悪、罪、罰、恐怖、錯覚を描き出したいのだが。
絵本のストーリーにどうすれば、落とせるのか? どうすれば、この恐怖の流れを描き出せるのか。
罰シリーズの中で書くのか、それとも全然、別のシリーズを始めるのか。

しばらくは、絵本の執筆ではなく、Thinking timeとなりそうだ。^^;
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  1. 2017/06/01(木) 12:01:15|
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コメント

かっさん、返事が遅くなってすみません。
僕は器用な人間ではなく、一度に、いくつもの用事を同時並行でこなせるタイプじゃないので、他の用事が色々と入ってしまうと、インターネットさえ見なくなってしまう事があります(汗)

>正しくは民主主義の「平等と権利」いうのから派生してる現象だと思われ~

「平等と権利」とか、そういう事については、以前は、やかましく主張していた時期もありましたけど、最近では、あまり深く考えたりしなくなりましたね^^;
だって現実の世界は、どうやっても完全に平等にはならないし、「権利」があるって言っても全部を100%使えるわけではないし、むしろ「完全な平等」とか「全ての権利を100%使える状態」を目指してしまうほうが無理があるし、色々とゆがみが発生してしまうというか・・・
なので「完全な平等ではない」「全ての権利を100%使えない」という現実を受け入れる必要があるな・・・とは思ってますが、人それぞれ、その人にとって必要な「平等と権利」は違っていて、それらを認めてあげる事は大切だな・・・という風な考え方をしています。

>この場合、平等なので、自分より優れている人に対してムカツクだけではなく、自分より劣っている人達も気に入らなくて修正(不満→注文や文句)せずにいられない(要するにイジメ)けっきょく同じじゃないと気に入らない、という心理なんですね。

こういった心理が「ユインさんの頭の中にありそうだな」という風に、かっさんには映っているという事ですかね?
それとも、ご自分の心理が、そのような状態であるという事を、自分で説明をされているのでしょうか?
まあ、僕の場合で言えば、たしかに、自分より優れている人に対してムカツク事はありますけど、逆に、尊敬したくなる事もあります。
自分より劣っている人達についても、気に入らなくて修正せずにいられない気持ちになる事もありますけど、逆に、その人の欠点こそが「長所」であるかのように見えて、治す必要はないというか、むしろ「治してはいけない」「そのままがいい」とさえ思えるような、温かい気持ちになる事もあります。
こういった心境(感じ方)の違い(変化)は、どこから生まれるのか?
という事について、かっさんは深く考えてみた事がありますか?

>だから上下関係になると心から喜んでやれるのかなあ?
>っていうか、本当に自分がやりたいことがわかるのかなあ?

横レスですが・・・
いや~上下関係がある状態で「心から喜んで奉仕する」なんて事は、僕には、あり得ないです(汗)
義務的なものとか、強制的なものとしか思えないです^^;
むしろ「心から喜んで奉仕する」という事が出来るのは、上下関係がない時だけじゃないでしょうか?
それから、今の僕の感覚では、常に「自分がやりたいこと」しか、やってない感じなんですけどね(笑)
だから「自分がやりたくないこと」にも、なんとか取り組めるようになってきたというか・・・

それにしても、かっさんと東郷さんの話のやりとり、相変わらず、ムズカシイ内容だな~と思いながら読ませて頂きました^^;
ところで、かっさんが難しい話をするのは「奉仕」の気持ちからで、喜んでやってる事なのでしょうか?
たしかに、相手の話に対して「それが良い事だとか正しい事だとは限らないぞ!」という勢いで、相手の知識や理解のレベルを超えた難しい話を連発して、相手を散々ウンザリさせる事が、大いなる飛躍をもたらせ進化が加速したり、より複雑な問題の処理能力がアップしたり、今までできなかった発想をするようになって、さらに色んな体験ができる、などという事に結びつく場合はあると思いますが、このやり方が通用しなかったり、逆効果になってしまう場合もあると思います。
どういった条件が揃っている場合に、上記のような方法が通用して、どういう場合には通用しないのか?といった見極めについては、深く考えてみた事がありますか?
  1. 2017/06/09(金) 18:37:11 |
  2. URL |
  3. ユインシュタイン #hVBOTS.Y
  4. [ 編集]

奉仕って喜んでやってる感がありますね。
だから上下関係になると心から喜んでやれるのかなあ?
っていうか、本当に自分がやりたいことがわかるのかなあ?
それこそ評価志向というか、自分が置かれた立場で出来るだけ前向きに。。。位が関の山な気もするんですね。
東郷さんの言ってることはわかりますが、今回私が問題にしてるのは要するに追従、特に依存症的な追従志向みたいなのです。

>他者を操作する、特別な少数派のエリートがいる

そうではなくて、エリートだって選ばれて擁立されてるワケで。。。
たぶんエリートさん達もその志向性から熾烈な主導権争いみたいのを繰り広げてるだろうし。。。

まあでもなんかだんだん気が引けて来ましたのでこの辺にしておきます。
  1. 2017/06/08(木) 17:22:53 |
  2. URL |
  3. かっさん #E9/Ef2VQ
  4. [ 編集]

遅レスすみません。

>っていうか、上下関係ってどっから出てくるんですか?

奉仕という言葉のニュアンスに上下関係ってあるのかな?って。家来が王様に奉仕する、みたいな。一般国民が1%の貴族階級のために奉仕する、というような。
今、ずっと上下関係のことを考えていることもあって。罰のことを考えているんですが、罰って、「下す」ものでしょ? 上下関係が前提にあるんです。

>「他者への奉仕」ならば単純に、「誰かを愛したい願望」、「誰かの役に立ちたい願望」のことも含まれ、あと共同体への奉仕とかですかね。

こう書いていただくと、とても自然な願望ですよね。

>創造主は自身を分身して可能な限りの色んな体験をしたいと言うことならば、分身がどんなことをしても創造主に貢献、奉仕していることになりますね。

そうかも知れませんね~ 創造主は自分自身(海と水滴のような関係?)でもあるのかも。 思い出せないですけどね。^^;;

>でもネガの自由意志(自己への奉仕、他者を操作)

「他者を操作する、特別な少数派のエリートがいる」っていうことについては、僕自身はちょっと違う感覚を持っているように感じます。人は誰でも他人を操作するでしょうし、愛を受け取ることもありますし。うまい・下手はあるでしょうが。

奉仕については、面白い問題提起だなと思いました。奉仕って、する人だけでは成立しないんですよね。受ける人がいないと。
愛という言葉を使うと、愛するためには、愛を受け取る人が必要なんです。 でも、他者の愛を受け取るって、結構、怖い。無防備にならないといけないから。

そうすると、妙な操作をするんですね。 例えば、誰かが愛してくれて、ごちそうをしてくれる。そのまま食べれば済むのに(愛を受け取れる)、相手を信用できないと、毒入りかと疑う。そこで、拳銃をつきつけて、ご馳走を作れ、とやる。そして無理やりごちそうを作らせて(操作する)、それを食べる。

だから、操作は、他者への恐怖の表れだったりする。 ・・・この辺は絵本で描く予定もあります。

素直に愛することも、それを受け取ることも、なかなか難しい。 障害物をクリアーしていく方法を提示していくことは、大事なことかなって思っています。^^

  1. 2017/06/08(木) 13:11:50 |
  2. URL |
  3. 東郷 #-
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愛や神という言葉の意味、定義は人それぞれで、私もまだハッキリとはわかりませんが、東郷さんの場合、愛は全人類的な感じの大きな愛で、神の方は前に神との対話(だったかな?)を読書日記?で書かれていたので、その路線でいうと、神とは創造主、万物にあまねく内在している根源的知性みたいな感じを言ってるものと仮定してお答えしますが、創造主の愛は多くの人が考えてる愛とは随分と異なって冷静な感じだし、創造主は自身を分身して可能な限りの色んな体験をしたいと言うことならば、分身がどんなことをしても創造主に貢献、奉仕していることになりますね。

この場合ポイントになるキーワードは「自由意志」だと思われ、それが尊重されなければ可能な限りの体験データ収集はできないけれど、でもある者(仮称ネガ)の自由意志が別の者(仮称ポジ)の自由意志を著しく制限(操作)する問題が生じるため、バランスを取る必要もあり、そのためポジ多数でネガ少数になっていますが、でもネガの自由意志(自己への奉仕、他者を操作)はちゃんと尊重することでそれがコントラスト効果となって、それぞれの諸体験にわかりやすい明瞭さをもたらす狙いもあると思われ、その結果さんざんウンザリしたことが大いなる飛躍をもたらせ進化が加速したり、より複雑な問題の処理能力がアップしたり、今までできなかった発想をするようになって、さらに色んな体験ができる。。。みたいな感じなのではないかなと。

下のコメの返答を待ってとも思ってたんですが、質問の答えになりましたか?
この日誌のタイトルがが「今、考えていること」だったので、今回、私が今、考えてることを話させて頂きました。^^
  1. 2017/06/07(水) 01:33:17 |
  2. URL |
  3. かっさん #E9/Ef2VQ
  4. [ 編集]

「他者への奉仕」ならば単純に、「誰かを愛したい願望」、「誰かの役に立ちたい願望」のことも含まれ、あと共同体への奉仕とかですかね。
逆に言えばそれ自体には操作は及ばないというか及べない?ぐらい深いインプットではないかと。。。っていうか、上下関係ってどっから出てくるんですか?

それとシステム制作サイドの少数派の人々は「自己への奉仕」に専念しているものと思われます。
  1. 2017/06/06(火) 19:14:08 |
  2. URL |
  3. かっさん #E9/Ef2VQ
  4. [ 編集]

「奉仕への願望」には、上下関係が重要ですか? つまり単純に、「誰かを愛したい願望」、「誰かの役に立ちたい願望」とは違うことをおっしゃってますか?
それから、システム制作サイドの少数派の人々には「奉仕への願望」は無いのですか? 「神への奉仕への願望」は、いかがですか? システム制作サイドのシステム制作の目的はそもそも何?
  1. 2017/06/06(火) 16:16:15 |
  2. URL |
  3. 東郷 #-
  4. [ 編集]

共依存というのも問題としてはありますが、言いたかったのは人類は遺伝子的に操作されやすくデザインされてはいると思いますけれど、それはもっと深いところにある根源的な「奉仕への願望」というのが利用というか関係しているのではないかと。

奉仕には大きく分けて「自己への奉仕(他者の操作により自己へ奉仕も含む)」と「他者への奉仕(これは等価性ワンネス的見地からすると{他の自己}への奉仕かな)」があって、どちらも重要なので、うまくバランスがとれるように数的に一応制御されてる(システム製作サイドは圧倒的に少数)みたいな。

まあとにかく私はこの「奉仕」というのが時代のキーワードになっている気がして、ぜひ流行らせたく思っています。
  1. 2017/06/06(火) 16:00:58 |
  2. URL |
  3. かっさん #E9/Ef2VQ
  4. [ 編集]

>「奉仕したい」という先天的方向性が、方向性の逆向きのひと達に利用されて

周りを見ても、こういう人間関係は時々、見かけますね。「共依存」とでも言うのかな。^^ 大きく言えば、戦後日本と米国にも「共依存」の関係は少し、あるのかも知れません。 ブッシュさんだったかな、占領政策の大成功した例として日本をあげていたとき、そんな風に感じたことがあります。
  1. 2017/06/06(火) 13:51:53 |
  2. URL |
  3. 東郷 #-
  4. [ 編集]

罪悪感を持ちやすいひと、と言った方が近い感じでしょうか?
聖戦というのは多分それとは違う、罪滅ぼし系の使命感やら変な義務感やら現世への絶望とかから、あの世に行っても地獄へは行きたくない感、天国いきたい感が利用されてるイメージですかね。

禁欲、服従、清貧みたいな。。。

だからそうではないパターン、つまり良心で、罪とかじゃない感じです。
生きていく上では直接は必要ではないものに重きを置いてるというか。。。
たぶん持って生まれた「奉仕したい」という先天的方向性が、方向性の逆向きのひと達に利用されて。。。みたいな感じだと思います。
  1. 2017/06/05(月) 17:40:39 |
  2. URL |
  3. かっさん #E9/Ef2VQ
  4. [ 編集]

ユインさん

>相手を信頼して、その人の成長を、じっと見守る・・・

そうですね。自分に対してだと;
自分を信頼して、自分の成長を、じっと見守る・・・

となるのかな?

自分を信頼する。自分の運命を信頼する。運命を信頼して委ねる。

僕は瞑想を時々、するんです。
ああ、まだ信頼していなかったって、昨晩も思っていました。もう一歩深く信頼しようと。((笑) 
  1. 2017/06/05(月) 14:28:41 |
  2. URL |
  3. 東郷 #-
  4. [ 編集]

かっさん

>善悪中毒の本の冒頭から「賞」という事を罰と対比して説明してたし。

そうでしたっけ。^^; すみません、10年以上前に書いたもので、忘れてました。 ・・・汗、汗
それから、読んでいて、あれ?と感じたこと。

>それに良心の呵責をもつ人達にとって、他人を操作して自分の為に利用するなどと言う路線は、可能な無理の無い範囲での理解なら利益になるけれど、完全には理解できないというか、しなくて良いと思います。

僕は、一瞬逆だと思ったんです。
良心の呵責を持つ人たちこそ、他人を操作して自分のために利用しようとするのではと。

もちろん、イメージしている人物像が違うんだと思います。
そういう意味では、絵本という表現手段は、優れているなあ、と改めて思いました。

「良心の呵責を持つ人たち」という言葉。これは人によって、様々な解釈が出来ると思う。

例えば、弱々しい少女なのか、PTSDで心が壊れた兵士なのか、悪夢にあえぐ超エリートか。

ちなみに、「良心の呵責を持つ人たち」という言葉で僕が真っ先に思いついたのは、信心深く育てられた、テロや戦争を画策する超エリートです。(笑)
  1. 2017/06/05(月) 14:18:57 |
  2. URL |
  3. 東郷 #-
  4. [ 編集]

将棋で、うんうん悩んでる人に「そこは、こう攻めればいいんだよ」と教える。
推理小説を読んでいる人に「犯人は、この人だよ」と教える。
クロスワードパズルを解いている人に「あ、それはこれだよ」と横から教える。
トイレに行っている間に、その人が作りかけのプラモデルやパズルを勝手に完成させちゃう。

「そっちに行ったらダメだよ」
「そんなことをしていたら、ひどいことになっちゃうよ」

人は「転ばぬ先の杖」を、ついつい教えてしまいたくなっちゃいますね^^;
でも「転ばぬ先の杖」は、多くの人は欲しがりませんし、なかなか受け取りません(汗)

忠告、指導、アドバイス、おせっかい、しつけ、教育、価値観の押し付け・・・
いろいろな形で、人は人に与えようとしますが、ときには、相手が失敗するまで待つ勇気も必要なのかも知れないですね^^;
相手を信頼して、その人の成長を、じっと見守る・・・
そして相手が失敗しても「だから言ったじゃない」とは言わず、優しく助けてあげる。
それが本当の優しさなのかも知れないですね^^;

上記は、僕が自分自身に言い聞かせている事でもあるのですが、なかなか実践するのは難しくて、ついつい色んな事を、言いたくなっちゃいますよね^^;
でも、まあ、かっさんが元気そうで、よかったです^-^

まったく関係ない話をしてしまいましたが、また何か気になった事があったら返事をするかも知れません。
  1. 2017/06/05(月) 10:11:02 |
  2. URL |
  3. ユインシュタイン #hVBOTS.Y
  4. [ 編集]

>民主主義の平等というのから派生してる現象だと思われ~

正しくは民主主義の「平等と権利」いうのから派生してる現象だと思われ~

>言い方は色々あるにせよ善悪中毒問題定義はとっくの昔に~

善悪中毒の「問題提起」の間違いですね。

あと仏教の空については、別に仏教特有のものではなくて、私が知る限り殆どの宗教やスピリチュアル思想?が言い方は違えど同じ事を言ってます。
でも大抵は変なのがも一緒に混じっているから純度的な違いはありますけれど、これらのことが東郷さんのいう誤読の問題ということなんでしょうね。
  1. 2017/06/05(月) 08:38:17 |
  2. URL |
  3. かっさん #ZNd9KYxY
  4. [ 編集]

ユインさんの思考→感情の展開は、民主主義の平等というのから派生してる現象だと思われ、ある種の副作用とも言えるけど、製作サイトはそれを狙った(少なくともそういった展開を便利に利用している)確信犯だと思います(さもなければ、言い方は色々あるにせよ善悪中毒問題定義はとっくの昔に行われているハズ)

この場合、平等なので、自分より優れている人に対してムカツクだけではなく、自分より劣っている人達も気に入らなくて修正(不満→注文や文句)せずにいられない(要するにイジメ)けっきょく同じじゃないと気に入らない、という心理なんですね。

東郷さんがご褒美路線を考えたことないハズないでしょう。
善悪中毒の本の冒頭から「賞」という事を罰と対比して説明してたし。

ホメられてよかった!誉められてキモチー!とかやってる内に中毒性の失敗恐怖症→ウソ隠蔽路線とかいった展開とかなら似たような絵本はありますよね。

まあ、錯覚というから話がややこしくなるので、歪曲という言い方の方が最近は好きですね。

この場合だと世界や万物、人間自体もそれぞれが固有の、ある種の歪曲によって顕在化してるとも言えると思うので、善悪観念の入る余地は少ないかと。

なので善悪中毒の問題は基本的に「良心の呵責」というものを持っている人が、持っていないひと(もしくは努力によって?可能な限り少なくしてる、これがエリート)に操作されてしまう問題と、それに伴う操作しやすいキビシイ社会の構築によって、その中で生きるのが大変で嫌な思いを沢山することから、少しでも楽になりたくて借金をして分割払いにする(1分間、100の辛さに耐えるかわりに、30年間、1の辛さを延々と続けるみたいなもので、利息がついて嫌な思いの総量は増えてしまう)みたいな依存症関係と意識の低下だと思います。

だから罰やご褒美、錯覚や欲求や感情なんかの否定の話なんて全然してないんですけどね。^^;

それに良心の呵責をもつ人達にとって、他人を操作して自分の為に利用するなどと言う路線は、可能な無理の無い範囲での理解なら利益になるけれど、完全には理解できないというか、しなくて良いと思います。

その人達はにもっと違う役割があるのではないかと。。。
  1. 2017/06/04(日) 23:25:09 |
  2. URL |
  3. かっさん #E9/Ef2VQ
  4. [ 編集]

>びっくり仰天して逃げていく人もいるかも知れないですね^^;

え~、どうしよう!? はははは。^O^

>アンダーライン引きまくり、色んなメモを書き込みまくりで、実に色鮮やかな状態になってます(笑)

す、すごい!(^0^♪
  1. 2017/06/04(日) 22:31:30 |
  2. URL |
  3. 東郷 #-
  4. [ 編集]

善悪の禁断症状

おっと・・・
東郷さんの最初の本「善悪中毒」を、ちゃんと読んだ事がない人は、今回の東郷さんのコメントを見たら、びっくり仰天して逃げていく人もいるかも知れないですね^^;

僕の手元にある「善悪中毒」の本の94~106ページの「善悪の禁断症状」の所は、赤や青のボールペンで、アンダーライン引きまくり、色んなメモを書き込みまくりで、実に色鮮やかな状態になってます(笑)
  1. 2017/06/04(日) 13:47:53 |
  2. URL |
  3. ユインシュタイン #hVBOTS.Y
  4. [ 編集]

>「ご褒美がほしい」という人間の自然な感情(欲求)そのものの存在自体は認めてあげなきゃいけない、みたいな、そんな感じの事が言いたかったんですよね。

これは全くその通りですね!^^ 

「ご褒美がほしい」もそうですが、他にも否定されがちな感情ってたくさんありますよね。たとえば、「さぼりたい」「やすみたい」「寝たい」「食べたい」「吸いたい」「飲みたい」「逃げたい」「犯したい」「ぶち殺したい」「憎い」「好きな子の肉を食いたい」・・・

実行するしないは別として、自分の中にそんな感情があるなら、その存在自体は認めたい。それがどんなに恐ろしい感情であっても、決して悪だと否定しない。 善悪を一切考えずに、淡々と心の中を観察する。時にこれは身もだえして泣き叫ぶほど、キツイですけれど、そうしないと、一歩も前に進めないです。^^
  1. 2017/06/04(日) 12:11:12 |
  2. URL |
  3. 東郷 #-
  4. [ 編集]

東郷さん、お返事ありがとうございました^^

「ご褒美をもらえるのが当たり前」

大人だったら、こんな風に考えてしまうのは傲慢で愚かな事だと、だいだいの人が自覚しますよね。
でも、それがエスカレートしてしまい、「ご褒美をもらう事」=「悪」みたいな錯覚をしている人が、世の中には、結構いるんじゃないか?という気がするんですよね・・・

「ご褒美がほしい」

人間だったら、この欲求は自然に発生しますよね?(理屈じゃなくて)
でも「ご褒美をもらう事」=「悪」だと錯覚している人は、そういった人間の自然な感情にフタをしてしまって、本当は存在するはずの感情を、見ないようにしてしまう。
そうなると、本当は、ご褒美がほしいと思っているのに「私は、ご褒美がほしいなんて思った事は一度もない!」などと強がったような事を主張してしまう。
そして「ご褒美をもらう事」=「悪」だと錯覚しているので、当然ながら、他人にも、それに従うべきだと言って、ルールを押し付けようとする。
そうなると、ごく自然な感情から「ご褒美がほしい」などと言っている人がいれば、それだけで、その人の事を「アイツは、ご褒美をもらえるのが当たり前だと考えている悪人だ!」という風に錯覚して攻撃(罰)を与え、他人の「ご褒美がほしい」という、ごく自然な感情そのものを消滅させようとする・・・
そうやって、自分も含めて、すべての人々に「ご褒美」がない状態にする事を「差別をなくす」=「平和」という風に考える人もいるように思うのですが、それでは人間本来の自然な感情(ご褒美がほしい)は、一体どこへ行ってしまうのか?
ただ、見たくないものにフタをして、見ないようにしているだけではないのか?
・・・そんな事を考えたりしていました。

そもそも「ご褒美をもらえるのが当たり前」だなんて思ってたら、みんなから傲慢な人間だと思われて生きづらくなるし、第一、自分自身が「ご褒美を期待していたのに貰えなかった」という絶望感を味わう事を散々くり返す事になってしまうので、「ご褒美をもらえるのが当たり前」だなんて思ってたら、自分自身が一番苦しくなってしまうという事は、誰もが、どこかで気づく事なんだろうと思います。
でも「ご褒美をもらえるのが当たり前」ではないけれど、「ご褒美がほしい」という人間の自然な感情(欲求)そのものの存在自体は認めてあげなきゃいけない、みたいな、そんな感じの事が言いたかったんですよね。

>例えば、僕は2000年ごろからずっと世界平和のことを考えて、本や絵本を書いていますが、ご褒美を期待したことはなく、貰えると思ったことも無いです。全く相手にされないと落ち込むこともありますが、まあ、それってご褒美期待に、なるのかな? でも、ご褒美といっても、かっさんのコメントぐらいですよ。(それだけでも、励まされるよね^^)

実は、東郷さんの事も、まだちょっと疑ってる所があったりして(すみません、汗)
でも、この辺りの文章を読んでみて、だいたい考えている事は同じだなと思って安心しました^-^

それにしても、東郷さんが今、一生懸命に考えておられる事については、どうも僕の頭では、なかなか理解が難しい部分が多くて「分かったような、なんだか分からないような・・・」という感覚なので、何かコメントしてあげられるような言葉が見つかりません^^;
とはいえ、そういったムズカシイ事を「絵本」にして、分かりやすく伝えようとして下さっている姿勢は、いつも尊敬の目で見させて頂いてます。
僕が好きな「アインシュタイン」の言葉ですが・・・

すべての物理学の理論は、数式は別にして、「子どもでさえも理解できるように」簡単に説明すべきである。
知的な馬鹿は、物事を複雑にする傾向があります。それとは反対の方向に進むためには、少しの才能と多くの勇気が必要です。

こういった名言と同じことを、東郷さんは実践し続けておられるように見えるので、本当に、すごいなぁと感心させられます。


かっさん
先日は、色々とお世話になり、こちらこそ多くの事を学ばせて頂きました。
ところで、仏教には「空」(くう)という人類最強の哲学?みたいな論理が存在するらしいです。
まあ、僕の頭では、分かったような、なんだか分からないような・・・で終わってしまってますが^^;
  1. 2017/06/03(土) 17:01:19 |
  2. URL |
  3. ユインシュタイン #hVBOTS.Y
  4. [ 編集]

ユインシュタインさん

いやあ、そんな絵本、思いつかないです。書いてないんじゃないかな?

・・・というのも、平和の絵本のメインテーマは、錯覚。
ユインシュタインさんの書いた心理そのものは、大した錯覚はなく、自然だと感じます。

>自分は、ものすごく努力して、他人より難しい事を、たくさん知っているのに、誰からも、ご褒美がもらえない。

努力して難しいことを知った目的が、ご褒美を貰うことと自覚しているのなら、ここに錯覚は感じません。
「ご褒美をもらえるのが当たり前」と思っているとしたら、学生さんや子供さんなら、そう考えるのかなあ?
環境が変わってもずっとそう信じていたら、それは思い込みであり、錯覚になりそうですね。

>それなのに、たいして頑張ってもいない他人が、ご褒美をもらっている所を見ると、うらやましすぎて、心が苦しくなってしまう。

本来、貰えるであろうご褒美が貰えなければ、当然、腹が立つし、貰える人のことが羨ましいでしょう。ここにも錯覚は感じません。
本来、貰えるであろうというところが、そもそも間違っているなら、それが錯覚ですね。

例えば、僕は2000年ごろからずっと世界平和のことを考えて、本や絵本を書いていますが、ご褒美を期待したことはなく、貰えると思ったことも無いです。全く相手にされないと落ち込むこともありますが、まあ、それってご褒美期待に、なるのかな? でも、ご褒美といっても、かっさんのコメントぐらいですよ。(それだけでも、励まされるよね^^)

和を地球へ広げたいから、やっていますが、僕が生きている間は無理だと思っています。(笑)

>だから、ご褒美をもらっている他人を攻撃したくなってしまったり、ご褒美を与えるような社会の仕組みが、そもそもオカシイのだと考えてしまったりする・・・

嫉妬心で攻撃的になるというのも、自然です。
これについては、自然なんだよ、という絵本を描く予定はあります。
社会の仕組みに欠点があれば、変えたいというのも当然でしょう。

たとえば、同じ優良な成績を取ったとき、特に理由も無く、山形県出身者だけ奨学金を貰えて、岐阜県出身者はダメとなったら、腹が立つでしょうし、その仕組みを変えたいのは当たり前です。

そんなとき、山形県出身者に対して、攻撃な嫌味を言うこともあるでしょうし、奨学金システムを変えようとすることもあるでしょうし、アホラシイから退学する、ということもあるでしょう。

それは選択だと思います。

・・・って、ちょっと詳しく書いてみたけれど、趣旨合ってた?^^
  1. 2017/06/03(土) 13:28:48 |
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  3. 東郷 #-
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かっさん

支配システムは、バケツでありお花屋さんになるのかしら?^^

それにしても、さすが鋭いですね~
貢献とご褒美セットのことは、正直、考えたこと無かったです。
僕が褒められるの、好きだからかな?笑

悪い子! と罰を与え、良い子ね! と褒めてあげる。確かにセットですね。^^

・・・まあ、叱る/怒る、褒めること自体は、とても自然なことだと思うのです。子供の躾けも教育も、叱ること・褒めることなしでは難しいでしょう。

支配・上下も、それだけでは、錯覚とは言えません。(錯覚そのものも、悪だというわけではないですし)
誰かが信号赤で止まると決める必要がありますし、それに従わなければ、運転は出来ません。

どこの部分が錯覚で危険を生むのか。どこまで人間の本性であり、自然なのか。この見極めは、本当に難しいです。^^;
  1. 2017/06/03(土) 13:08:37 |
  2. URL |
  3. 東郷 #-
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自分は、ものすごく努力して、他人より難しい事を、たくさん知っているのに、誰からも、ご褒美がもらえない。
それなのに、たいして頑張ってもいない他人が、ご褒美をもらっている所を見ると、うらやましすぎて、心が苦しくなってしまう。
だから、ご褒美をもらっている他人を攻撃したくなってしまったり、ご褒美を与えるような社会の仕組みが、そもそもオカシイのだと考えてしまったりする・・・
そんな心理をテーマにした絵本って、ありましたっけ?
  1. 2017/06/02(金) 22:16:21 |
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  3. ユインシュタイン #hVBOTS.Y
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あ~…他の人にも最近いわれましたよ。
ワザと難しい変な日本語で、意味わかんない。。。みたいな。

まあ普段から善悪不二とかいってるお坊さん達は、善悪中毒を理解しやすいんじゃないかとの思いから期待しちゃう所があって、結果ガッカリする事が多い(至らない私)とかいう話です。

要するにNo1の栄光にしろ特別なオンリー1の栄誉にしろ、支配システム内に留まりたくて留まってる感じなので、支配システムを考え、支配してる側と対等、脱却をめざしたい(同じ土俵に立ちたいとかじゃないですよ)とかいった主旨と

その関係で、支配システムは罪と罰セットだけじゃなく、貢献とご褒美セットも含めてのセットなので、上記の栄光栄誉はつまりはご褒美だし、最近の教育論文とかでも、子供の才能開花には意識を高める必要が先ずあるけれど、ご褒美はむしろ意識を低めるし、ご褒美欲しさに先生側の顔色を見ての行動や、例えば絵画の場合、絵を描く意欲、喜びとかはむしろ減退するとかいった実験結果だそうですよ。

これらはまさに本質的に同じ分野、善悪中毒理解の土壌にもなり得る話かなと、思ったしだいです。
  1. 2017/06/02(金) 19:37:25 |
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  3. かっさん #ZNd9KYxY
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あ~、僕、よく分からないです。^^; スマップさん、解散しちゃいましたね~
  1. 2017/06/02(金) 14:30:34 |
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  3. 東郷 #-
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少し前に世間でアイドルグループの解散が騒がれていたころ、彼らのヒット曲をお坊さんが誉めている場面を昼飯のテレビで観ました。

それは一輪の花ならぬ「世界で一つだけの花」という曲で、ナンバー1よりオンリー1という歌詞が非常に深くて驚いたとか、仏教の教えに通ずるものがある、とかなんとか言ってたんですが、それを聞いた私は、何だかすごくガッカリとした気分になったのでした。

というのも、この曲で歌われてるナンバー1というのは、1位ではなく、最高位でも2位以下のことで、同様にオンリー1というのも等価性の中での個性や独自性というよりも、人と違うことによって得られる栄誉、他とは一線を画す存在になって(つまりエリート)栄光を得たい、みたいな展開が想定されている感じなので、お坊さんが仏教の教えに通じるとかいうのなら、そのあたりのことに言及して欲しかったんですが、でも考えてみればお坊さんを志望する人達とかが一番そんな感じの動機が多そうですね。^^;
  1. 2017/06/01(木) 21:21:30 |
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  3. かっさん #E9/Ef2VQ
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