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新作絵本「罰は再犯を生む」アップ:「平和の絵本で-和を地球へ」活動日誌

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新作絵本「罰は再犯を生む」アップ


新作絵本「罰は再犯を生む」をアップしました。

またご感想なりお聞かせください。<(_ _)>

→絵本「罰は再犯を生む」
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  1. 2017/03/17(金) 16:31:44|
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  4. コメント:6
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コメント

うんざりの先

書いてる僕も、うんざりしてます。笑

ウンザリを書く必要があるのは、罰があまりにも効果的だからなんです。罰に頼ってずうっと続いてきた社会です。
罰抜きで社会秩序を維持していくのは、(当面は)とても大変だと思うのです。

その大変なことをやりたいのですが、問題はそのモチベーション。
牢屋に閉じ込めれば済むところを、じっくりと話して錯覚を排除し、心の成長を促し、なーんて、何百倍手間と時間がかかるか。

僕にとって、ウンザリは、そのモチベーションを作る作業となります。だから、避けて通れない。^^
  1. 2017/05/21(日) 13:51:08 |
  2. URL |
  3. 東郷 #-
  4. [ 編集]

最近、罰の副作用に関する絵本ばかりを描かれてますが、たしか以前「しばらく、うんざりモードが続く」という風に、ちゃんと注意されてましたよね(汗)
それを分かった上で読んでいたつもりだったのですが、なんだか最近、本気でうんざりして混乱してしまっている自分がいる事に、昨日の夜、気づきました^^;
でも同時に、この「うんざりモード」の後の展開が、ちょっと見えてきたような気がして、それを想像したりして、勝手に安心したり、ちょっと楽しくなったり・・・
まあ、完全に僕の気のせいかも知れませんが、どんな展開になるのか、楽しみにしてます^^
  1. 2017/05/18(木) 18:12:13 |
  2. URL |
  3. ユインシュタイン #hVBOTS.Y
  4. [ 編集]

>今までの自分の人生と、びっくりするくらいリンクしてしまうように感じたりするんですよね。

こんな風に言って頂けるとは光栄です!^^

>まだまだ奥が深いのかも知れないですね。

錯覚が0って人間には無理でしょうが、それが少ない状態は、いわば明鏡止水。自己探求だと考えれば、永遠に終わりは無いのでしょうね。 お互いに、諦めず信じて歩き続けましょう。^^
  1. 2017/05/16(火) 13:38:13 |
  2. URL |
  3. 東郷 #-
  4. [ 編集]

東郷さんの絵本を読んでいると、どうしようもない状況に置かれている登場人物たちが、今までの自分の人生と、びっくりするくらいリンクしてしまうように感じたりするんですよね。
そして・・・

「今までの自分の人生が、めちゃくちゃだったのは、厳罰のせいなんだ!」
「厳罰がなくならないのだから、今の自分を変える事が出来なくても仕方がない!」

という風に、自分の事を、正当化したくなったり、居直ってしまいたくなったりしますが、そんな風に解釈してもらう事が、本来の目的ではないという事ですね。

新しい絵本で「復讐の相手~Ⅱ」(「愛する人が殺されたら」の番外編)を紹介されていますね。
この絵本の感想を正直に言えば、過去に一度だけ読んだ記憶はあるのですが、当時の僕は受け入れる事が出来ず、嫌悪感がして拒絶してしまいました。
どう考えても、自分自身が「悪」になってしまうように感じてしまったので・・・
でも、今なら「ああ、なるほどな・・・」と色々と思う事はあります。

ある程度は、善悪中毒から抜けているつもりではいるのですが、まだまだ奥が深いのかも知れないですね。
でも「奥が深すぎて難しすぎて理解しきれない」などと考えてしまう事自体が、もしかしたら錯覚なのかも知れないですね。
  1. 2017/05/14(日) 23:33:22 |
  2. URL |
  3. ユインシュタイン #hVBOTS.Y
  4. [ 編集]

正当化するのではなく、居直るのでもなく。

頭の働きを止めて、ただ感じてみる。
自分が感じることに対して、操作をしない。いかなる錯覚も利用しない。 感じるままに、感じてみる。
  1. 2017/05/14(日) 16:28:54 |
  2. URL |
  3. 東郷 #-
  4. [ 編集]

厳罰の副作用

新しい絵本も読んでいるのですが、こちらのほうに感想を書いてみます。

厳罰にするほど、その対象となる人は、自分を責められないように、必死になって言い逃れの口実を考えるようになりますね。
殺人事件の容疑者が、ほとんどの場合「殺意はなかった」(意図的ではなく過失だった)という発言するのが流行しているのも、そこら辺に原因があるのかも知れないですね。
そして、その言い逃れの口実が、実に巧妙に作られてしまえば、「言い逃れの口実」(嘘)でしかなかったものが、世間では「事実」として扱われるようになり、今度は、その「嘘の事実」に異論を唱えるほうが、逆におかしな事だという扱いなってしまったり・・・
そんな事が、ずっと繰り返されてしまえば「世の中って、何が正しくて、何が間違っているのかなんて、分かったもんじゃない!」という風に、世の中の事を分かったかのように語りだす人たちが急増してしまう・・・
まあ、かつての僕も、そうでしたが(汗)
このままでは、いつまでたっても、世の中が混乱だらけという状況が収まる気配がないですね。

僕は、今もまだ精神科への通院を続けてますが、最初の頃は、とにかく「病名」とか「精神障害者手帳」などが欲しくて仕方がなかったですね。
だって、それが「免罪符」になると思ったので。
そして今も、自分の事を「精神的に問題のある人」という風なアピールをしてしまう事を止められない^^;
だって、僕自身の感覚では、普通に話をしたり行動したりしてるだけなのに、色んな人から、すぐにバカにされたり、怒られたりしてしまうので(汗)
だから、先制攻撃と言いますか「どうせ僕は精神的に問題のある人ですよ?こんな僕を責めて、どうするんですか?病人や障害者を責めてしまったら、あなたのほうが厳しい罰を受ける事になりますよ?」みたいな態度になってしまいます^^;
厳罰を受けるのが怖いから、それ以上の厳罰が他人に与えられる状況を作る事で、自分が厳罰を受けるリスクを回避しているという事かな?
ある意味、最強の武器を手に入れたような感覚でもあるんですけど、やっぱり常に何か違和感があって、気持ちがいいものじゃないんですよね(汗)

「僕は病人だ。障害者だ。精神的に問題のある人間だ・・・」
「僕は病人だ。障害者だ。精神的に問題のある人間だ・・・」
「僕は病人だ。障害者だ。精神的に問題のある人間だ・・・」
「僕は病人だ。障害者だ。精神的に問題のある人間だ・・・」
「僕は病人だ。障害者だ。精神的に問題のある人間だ・・・」

こんな自己暗示を続けなければならない状況で、どうやって精神的な病気を治す事が出来るのか?などと考えてしまいました(苦笑)
でも、こういう事って、なかなか語りにくい事でもありますよね。
ちょっと間違えれば、本当に精神的に苦しんでいる人の事を、仮病扱いする事になってしまって、更に苦しめてしまう状況になりかねないですし・・・
僕は自分のブログで、障害年金を受けている事も書いているのですが、それに対して「お前は詐欺師だ!」という風な、きついコメントを受け取った事もあります(汗)
そして今では「詐欺師ですが、何か?」みたいな所まで行ってしまってるのかも知れません^^;
どうすれば、こんな状況を解決できるのか・・・
  1. 2017/05/11(木) 17:19:01 |
  2. URL |
  3. ユインシュタイン #hVBOTS.Y
  4. [ 編集]

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