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条件付きの愛:「平和の絵本で-和を地球へ」活動日誌

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条件付きの愛


ああでもない、こうでもないと。笑


幼児期の子供は、出来るだけ抱きしめて育てろ、という。無条件に抱きしめられて、可愛がられることで、愛されている実感を持ち、安心する。甘やかしになるかどうか、という心配は、もう少し大きくなってから。 とにかく3歳未満?ぐらいまでは、無条件に抱きしめる。

これをすることで、「愛」を子供は学習する。それは観念的なものではなく、具体的なものであり、実感なのだ。それは親のぬくもりであり、やさしさであり、何かとっても気持ちの良いものなのだ。それが愛。

愛されて育った子供達には、あまりにも当たり前の「愛」なのだが、一方で愛を知らずに育つ子もいる。たとえば、しょっちゅう虐待されるとか、無視されるとか。 彼らにとって、愛は難しくて観念的なものとなる。そして条件付きのものとなる。それは何かとても難しいものとなる。

あるがままで、人間は神様に愛されているのか。
それとも、正義のために悪と戦わないと、地獄に落とされるのか。虐待されるのか。愛されないのか。

この違いは、そんな世界観にも関わってくるだろう。

逆に言えば、親の持つ世界観は、そのまま子供への態度を規定する。
親は子供を愛さなくてはならない。 そのためには、子供を善なる存在にしなければいけない。 そのためには、殴ってでも悪いことをさせてはならない。甘やかしてはならない。

あるいは、子供はただ、可愛い。そして素直に抱きしめる。


神はあるがままの自分を愛してくれる。親はあるがままの自分を愛してくれる。そう思えば、自分の感情を肯定できる。すなおに愛することもできる。そして愛されることも。それは全く難しくはない。

一方で、神は善なる自分だけ、条件付きで愛する。 悪なる自分は憎まれる。 そう思えば、自分の感情を仕分けする。抑圧が生まれ、分裂が生まれる。 ・・・むろん、それは犯罪の原因にもなる。   お金への執着は、愛の不足への補償。  愛の強制、性犯罪は、愛を求めて。抑圧され、閉じ込められた自分は、心に作った牢獄の中で孤独のあまり泣き叫ぶ。


つまり、宗教的な世界観も、親子の関係も、全部つながっているのだ。
刑事罰の世界も。   テロと戦争も。  心の分裂も、精神的な異常も。   性犯罪も。



表現していきたいなあ!














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  1. 2016/08/17(水) 15:19:08|
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