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緘黙症の方からのメール:「平和の絵本で-和を地球へ」活動日誌

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緘黙症の方からのメール


緘黙症という病があることをご存知でしょうか?

肉体的には何の問題も無いのに、心の問題で話が出来なくなってしまうという、心の病気です。
10歳から36歳までという長期間、この緘黙症になって話が出来なかった方と、ご縁があって、メールのやりとりをさせていただきました。

ご本人から許可を頂きましたので、頂いたメールの一部を発表させていただきます。



---------緘黙症になったキッカケ-------------


子供の頃、私が投げた絵本が叔父の左目に当たり目を失明させてしまいました。(今、母に訊いたら、目は手術して治っていたそうです。)
投げた理由は叔父が妹と弟と仲良く寝ていることに嫉妬したんです。
その頃は家ではうるさいほど話せてて、学校や外では全く話せてていませんでした。父からは家中弁慶と言われていました。
私の過ちがあってから少しして家族と海に一泊旅行に行ったんです。
その旅行中、家族と話してなかったので、帰って来てから何となく家族と話せなくなりました。
それから勇気を出して話そと思っても声が出なくなり、36歳まで話せませんでした。



---------緘黙症の体験-------------


小学校、中学校時代。
私は人前で給食は食べられませんでした。
牛乳だけ飲んでました。
小学生ときはトイレに行けなかったんです。
体育の授業では走れなかったりしました。
自分は思いっきり行動してはいけない、給食を食べることが卑しいという思い込みからだと思います。

高校時代。
部活はレスリング部に入りました。
(中学時代は剣道部)
断ることの出来ない性格なので、誘われるまま入部。レスリング部は1年で退部しました。
学生時代の会話は、「はい」や、言われたことに答えるくらいしか出来ませんでした。
自分から話し掛けることはできませんでした。
高校の1年間は登校拒否にならずに毎日、登校してました。
部活をやめた2年生から登校拒否になりました。
1年生のときは、バスで登校してましたが、2年生からは母の車で学校に通っていました。
体育の時間は体を思い切り動かせず、バレーボールでは、私の動きに怒った人にボールをぶつけられたりしました。
そのことをかなり根に持っていた時期がありました。今、思い付いたのだけ書いてみました。
緘黙症が影響した些細な出来事や心情を深く思い出すには時間がかかります。


高校を卒業して家に引きこもりました。
弟との仲が悪くなったのもこの頃からです。(今は仲良くなってます)
弟は仕事で、私は無職なので、弟に悪口を言われて、頭に来て家の壁や窓を壊しました。
28歳くらいまでは一歩も家の中から出られませんでした。
外に出て病院に行こうと決意したきっかけは、罪悪感だったと思います。
叔父を虐待したり、犬を棒で殴って殺したりしたのに比べれば、外に出るのは大したことではないという思いが、動かしました。

テレビを見れなかった、テレビのアナウンサーと目が合わせられなかったことがあります。
テレビに映っている人に、こちらを見られている思ったからです。
人のいる前では、心の中を除かれると思い、考えるのをやめてました。
人前で緊張すると、恥ずかしい言葉や酷い言葉が頭の中に出てしまいます。
汚言症というらしいです。手をつねって考えるのを止めたりしていました。
30代になってもスーパーなどの会計のときにありました。

最近まで、インターネットに書いた自分の文章を見直すことが恥ずかしかったです。
Twitterもフォロワー数が減るとかなりショックでした。
こんなのは自分だけではと思ったことがあります。
28歳くらいに、ラジオ(茨城放送)にハガキを投稿し、それが読まれたことがあるんですが、恥ずかしくて音量を絞って聴いた思い出があります。
最近までは鏡で自分の顔を見られませんでした。
人と話せないことも原因だと思いますが、過去のことや仕事をしてない、障害年金を使っている後ろめたさもあると思いました。
27歳頃から精神世界のことに興味を持ち、かなりの量の精神世界ブログを読み、発言もしました。
何故、霊能者のいるところで書き込みをしたかというと、私の罪や心を見て受け入れて貰えるか試したんです。
いつも、何か言われるんじゃないかと不安でした。

アルコールを飲むようになったのは30歳過ぎくらいからだと思います。
33歳くらいからは、毎日、ウィスキーやブランデーをボトル半分から3分の2くらい飲んでました。
過去の罪やら自分の弱さで、もう人生はどうでも良いと思っていた反面、まだなんとかなると思っていました。
家族に対する憎しみや怒りが物凄かったです。
父が私を○○ちゃんと「ちゃん」付けで呼ぶことに不快に思ってました。
最近、それをやめてと言えました。
妹のくしゃみにもイライラしていました。
離れて暮らしたいと思っていても、家を出ることに不安になってました。
買い物は母の車で近所のスーパーに行くんですが、スーパーや本屋でお釣を貰うとき緊張で手が震えてました。
レジの人とは、目を合わせられなかったです。
いつも家では、布団に入って妄想したり、ゲームをしたり、携帯でネットをしたり、読書をしたりしてました。
野菜作りや料理などの、たまに違ったこともやりましたが。
こんなことしているのは自分だけだなと思って自棄になったことがありました。後半は開き直りました。
ネットをやり始めたころは、ネットに嘘(飾った自分)を書いてました。
2008年に、祖母が脳梗塞で倒れたとき、救急車が呼べなかったことがあります。
2年前くらい、それを母に告白しました。


2年くらい前、スーパーで買い物をしたとき店員が袋を出すのを忘れたんですが、袋がありせんと言えなかったことがありました。
そのときの思いは、悔しいのと情けないです。
今なら言える自信があります。
携帯は母が契約してくれました。
4年くらい前まで、2ちゃんねるで荒らしたことがありました。
きっかけは、2ちゃんねるで、霊能者に「美味しいとこだけつまみ食いしちゃいけない」と言われたことです。
障害年金(税金)で生活しているのが見えているとわかりました。
どうでもいいやと開き直って荒らしをしてしまいました。
どうにかしなければという思いと、自分は駄目だという思いと、誰かが何とかしてくれるだろうという思いがありました。
話せるようになって、先週、20代の頃に騒音をたてたことを近所に謝りに行きました。


---------話せるようになったキッカケ----------


話そうと思ったきっかけはありました。
最後に決め手となったお話をします。

私は昔から精神世界に興味がありました。
ですが、あるという確信がなかったんです。
ネットでしたが、出会えたんです。
心の中や素性を見抜かれました。
その人が念力みたいなもので、幻想を見てくれたんです。
心地よい気持ちになりました。
神様というものを感じました。

これで、あるという確信は持てました。
ですが、それだけではなかったんです。
その人が私にかけた言葉で、話そうと思いました。

心の読める人の協力と、もっと心を自由にして生きたいと思ったからです。

考えてみたら、これは最後の決め手でした。
決め手に行くまで、いくつもの心を感動させる出会い(人の様々な姿、人の色々な話、風景、動物、雨、小説、映画、ドラマ、アニメ、ニュース、ブログ、音楽、名言、ジョーク、詩、写真)がありました。

自分との対話、人との対話(ネットですが、300人くらい)をしました。

自分との対話は、自分のネガティブな感情との対話です。
人との対話は、70歳のクリスチャンの方、10代の高校生、寡黙症の人、霊能者、作家、うつの女性。

あと、小さな幸せや小さな気付き小さな確信も、私を助けてくれました。

中尾さんのブログ、あなたの子供を加害者にしないために、を読んで救われたり(私の知る限り、日本最高峰のカウンセラーだと思います)。

東郷さんの平和の絵本との出会いも、私の心に光を当ててくれました。
(私の人生のベスト3の出会いです。残りは、バシャール、中島みゆき)

家族と話せない自分を、劣っていると思ったり、こんなんじゃいけないと責めていました。

話せて幸せかと聞かれると、私の周りが幸せになったみたいです。
私はあまり前と変わってません。
心から家族と会話したいと思ってないんです。
家族に暴言を吐きましたから。

心が変わることと話せることは違うと思いました。
心は少しずつしか進まないんでしょうね。
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  1. 2012/01/27(金) 00:14:48|
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