ご要望のメールをいただき、大阪の匿名希望の方へ、魔法のメガネ10冊をプレゼント。
絵本「魔法のメガネ」は、寄付を頂けた方へお礼としてプレゼントという形をとっていたが、先日から、「ご要望があればどなたにでも差し上げます」と変更している。
この変更以降、初めて受けたご要望となった。
宅急便の着払いでお送りした。
→絵本「魔法のメガネ」へ
- 2023/01/05(木) 20:56:28|
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その後、5本の絵本のスマホ対応を行った。
どれもスマホ用のPDF未作成のものだったので、PDFとスマホ用WEBページの二種類を作成。もともと横長の絵を縦長に変える必要があり、時には絵の一部描きなおしもあって、なかなか時間がかかる。^^;;
以下、スマホ対応済です。
絵本「心という現実」絵本「愛に飢えて」絵本「異常者への手紙」絵本「希望」絵本「嫌な気持ちになる絵本」それから
異常者への手紙の広告も開始した。この絵本は、自分をかなり追い込んで描いたもの。どんな反応があるのか・ないのか。あまり予想がつかない。
- 2022/09/08(木) 16:04:57|
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このところ、絵本の宣伝をしていることもあり、いろいろ反応が返ってくる。時には参考になるご意見もある。
さてこの何か月かで、お二人の方から、類似のご批判をいただいた。
それはいくら絵本集を読んでも、回答が書いていない」というものだった。時間の無駄をしたと。
これはかなり意外な反応で、しばらくなぜそんな批判を受けたのかを考えている。僕としてはこれ以上もない、明白な回答を書いているつもりだったからだ。
平和の絵本のメインのテーマは、善悪という怪物(=心理トリックの集合体)の退治。
そこでその危険や心理トリックを浮き彫りにする絵本を多くアップしている。
それなのに、回答がないというのはどういう意味なのか?
とても面白いヒントもいただいた。人々は心の中に回答を見つけられない。回答を求めてさまよっている。
一方で、世の中のカルト宗教は、簡単に回答を与えてくれる。だから人々は飛びつくのだと。
その回答を平和の絵本に探しても全くない。いくら読んでもない、と。あるのは問いかけばかりだと。
なるほどと思った。
例えば、
何かを信じさえすれば、救われる。あるいは、何かを唱えさえすれば救われる。上記を「回答」とするなら、確かに一部の宗教にはそれがあるだろう。
寄付をたくさんすれば、天国に行ける。教祖様や神様に祝福される。寄付をしなければ地獄行きなどと。(笑)
それが回答なら、いうまでもなく平和の絵本にはそんなものはない。平和の絵本が追及しているのは、いわば理解への道。
より多角的なより深い理解への道。それを阻むトリックを暴くといったものだ。
これさえやれば、救われるなどというものは、平和の絵本の哲学の対極にあるものといえるだろう。
しかしながら、不安に駆られて回答/救いを求めてさまよっている人々のことを考えたとき、「そんなものはない」と切り捨てることは簡単なのだが、やはり、何かできることはないかとも思う。
回答/救いに関して、僕の個人的な思いを書くなら、
●救いを求めて→すでに救われている。必要なのは、救いではなく、すでに救われていることに気づくこと。
なのだが、それは僕個人の思い。そして、その個人的な思いを押し付ける気は毛頭ない。
それは、誰かに押し付けられるものではなく、自然に気づくもの。
それはより深い理解・気づきの先にあるものであり、つまりはすでにあるものであって、「何かをしたら救われる」といったものではない。
・・・そんなことを絵本で表現できないかなあと。
より多角的な深い理解があれば、現実への認知がゆがまなければ、自分が本当に望むものを選択できる。
自分が本当に望むものを選択すれば、自ずから幸福感・満足感が生じる。それは自然に生まれてくる。
その前提条件として、認知をゆがめる善悪などの心理トリックを排除すること。分裂した心を統合しておくこと。
心が分裂した状態では、自分が本当に望むものなど分からない。
それは、「〇〇さえやっておけば、救われる」なんていうインスタントなものではない。
「〇〇さえやっておけば、救われる」と信じ込み、自分が本当に望まないことを続ければ、どんどん心は不安定化する、不幸になる。目の前にすでに有る救いからどんどんと遠ざかり、妄想の世界に飲み込まれる。
インスタントの回答を求めていても、そこに回答/救いはないよ、ということ。
何か絵本で表現しておきたいなあと考えている。まだ、イメージがぼやけているのだけれど。
- 2022/09/06(火) 13:37:18|
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想像という現実シリーズの中の3本の絵本をスマホ対応済です。
ところで、この連作絵本は、直接的には善悪をテーマとしてはいない。そうではなく、善悪によって隠されてしまった部分を描いている。特別な悪い人が悪いことをするのではなく、実行者は普通の人に過ぎないよ、というものだ。誰であろうと、心を土の中へ埋めてしまう可能性がある。自分で描いても、ぞっとすることだ。^^;;
絵本「人違い」へ絵本「土の中」絵本「扉を開けて」
- 2022/08/23(火) 16:54:18|
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